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BLOG

2021.01.22

映画007シリーズ新作公開を前にアイン・ランドのジェームズ・ボンド論を読みました

Category : 思想アート
Author : 佐々木一郎

昨年10月の定例ミーティングでは、ランドがボンド映画に言及しているエッセイ「密売されるロマン主義」(Bootleg Romaticism、1965年)を読みました。

発案・発表はARCJ設立メンバーの宮崎哲弥さん。

宮崎さんの指定で、参加者はあらかじめ映画『007/カジノ・ロワイヤル』(2006年公開、主演ダニエル・クレイグ)を鑑賞して臨みました。
(『007/カジノ・ロワイヤル』はイアン・フレミングによる原作シリーズ第1作の映画化で、原作は白石朗さんによる新訳が2019年に東京創元社から出ています)

子供の頃からボンド映画が好きで、原作だけでなく各種研究書まで目を通してきたという宮崎さん、『肩をすくめるアトラス』を2010年にはじめて読んだときから、ランドのアクションシーンの描き方(特に、製鉄所の高炉からの溶鋼噴出をフランシスコ・ダンコニアとハンク・リアーデンが命がけで食い止めるシーン)に、何かボンド映画と共通するものを感じていたそうです。ですので、ランドがフレミングの007シリーズに好意的に言及しているこのエッセイの存在を知ったときは、かなりの知的興奮を覚えたそうです。

この「密売されるロマン主義」でランドは、人間の理想(「あり得る姿、あるべき姿」)を正面切って描く芸術(ロマン主義芸術)を恥ずかしいもの(「密売」しなければならないもの)と見なす現代文化と、その担い手である知識人・芸術家を激しく非難しています。007シリーズが大衆から熱烈に支持されているのは、理想的人間像への渇望に応えるものだったからだ、と論じています。007シリーズのプロットはロマン主義文学のプロットそのものであり、ジェームズ・ボンドはロマン主義芸術における〈英雄〉そのものだ、と論じています。

宮崎さんからは、このエッセイの要旨が紹介されたあと、

  • ディーン・R・クーンツによる「純文学」におけるプロット不在・英雄不在批判
  • ジェームズ・ボンドがシリーズ第1作『カジノ・ロワイヤル』では善悪の相対性に悩んでいたこと
  • ランドが目的を持たない生き方を最も堕落した生き方と見なしていたこと
  • ウンベルト・エーコによる英雄譚としてのボンド小説の構造分析
  • ジョーゼフ・キャンベルによる「英雄」定義と英雄神話の基本構造
  • クリストファー・ボグラーによる英雄神話の構造分析
  • ランドが考える理想的人間像が果たす機能
  • ランド作品の影響を受けたアメコミヒーロー
  • ランドにとっての英雄・悪人のイメージを体現していた俳優たち
  • RASHのNobody’s Hero歌詞に感じられるランド的英雄観

などが紹介されました。

上記トピックの一部は、宮崎さんが昨年11月に公開されたショーン・コネリー追悼記事でも触れられています。

参加者からは

  • 「ランドの思想はエリート主義・大衆蔑視と誤解されているが、このエッセイにはランドが大衆の善性を誰よりも信じていたことがよく現れていると思った」
  • 「シリーズ第1作では善悪の相対性に悩んでいたジェームズ・ボンドが、2作目以降では悩みを持たないマシーンのようになっていくという話は、ランドの小説での善悪の区別が『われら生きるもの』→『水源』→『肩をすくめるアトラス』と後になるほど絶対化していくのと重なって、興味深かった」
  • 「これまで文学論に触れる機会がなかったので、英雄の物語に普遍的な構造があるという話など面白かった」

といった声が挙がっていました。

次回1月23日の定例ミーティング(15:00 – 17:00、オンライン開催)では、やはり宮崎さんの発案・発表で、ランドのエッセイ「ロマン主義とは何か」を読みます。テーマは「アイン・ランドの思想とRUSHのプログレッシブ・ロック」です。

詳細はこちら
https://aynrandjapan.org/topics/1185/