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BLOG

2020.11.04

アイン・ランド的「英雄」としてのジェームズ・ボンド
James Bond as A Randian Hero

Category : アート
Author : 宮崎哲弥

往年の大スター、サー・ショーン・コネリーの訃報が伝えられた。

コネリーのもっとも親しい友人であり、『王になろうとした男』(1975)で、コネリーと共演した英国人俳優サー・マイケル・ケインは、Twitterで「ショーン・コネリー、偉大なるスター、華麗なる俳優、そして素晴らしい友人。王になろうとした男は、まさしくTHE KINGだった」とコメントした。

享年90歳とのことなので大往生といってもさしつかえないように思えるものの、つい先日、5年ぶりとなるはずだったジェームズ・ボンド映画の新作『ノー・タイム・トゥ・ダイ』の世界公開がまたもや延期と公式に発表されたばかりであり、もし予定通り公開されたとしたら、このタイミングでこのタイトルはさすがにマズかったかもしれない。穿ちすぎかもしれないが、ボンド映画とコネリーの切っても切れない因縁をあらためて感じさせるトピックではある。

ともあれ、本人としては不本意だったにせよ、ショーン・コネリーとえば、今にいたるも一般的なイメージは、「初代ジェームズ・ボンド役者」であり、第1作『ドクター・ノオ』(1962)の登場シーンで、コネリーが「Bond, James Bond」と初めて発語した瞬間から、以後60年近くにおよぶ映画史上最長シリーズのイメージと方向性が決定づけられたことはまちがいない。

イアン・フレミングが創造した「ジェームズ・ボンド」というキャラクターは、一応は国家公務員の身分でありながら、きわめて個人主義的な性格を備えており、物語の最終局面では必ずといってよいほど身勝手な個人的判断に従って行動し、常に上層部からニラまれているという点が特徴的だ。同時に、ある種の非人間性も備えており、自分が悪と判断した以上、機械的に人を殺してもいささかの道徳的葛藤をおぼることがない鋼鉄のような意志の持主として設定されている註1
この役を最初に演じた若き日のショーン・コネリーの容貌は、まさしくボンドというキャラクターにピッタリの非人間性を帯びていた。それゆえに、殺人許可証をもつスパイという荒唐無稽なキャラクターが、いっさいの疑問をはさむ余地のない説得力ある具体的存在として観客の目に映ったのだった。(ちなみにコネリーの次に、非人間的な顔つきのボンドといえば、ダニエル・クレイグであり、もっとも人間くさいボンドを演じたのが、ジョージ・レイゼンビーではないかと思う。)

意外に思われるかもしれないが、公開当時、この映画を劇場で観たアイン・ランドは、コネリーの演技をことのほか気に入り、以下のような最大級の賛辞を送っている。

「『007は殺しの番号』(註:初公開時の邦題)は、ロマン主義的映画芸術の輝かしい手本でした──製作において、演出において、脚本において、撮影において、そしてもっとも顕著には、ショーン・コネリーの演技において。ショーン・コネリーが最初に登場する場面は、ドラマチックなテクニック、エレガンス、ウィット、そして抑制の効いた珠玉でした。ボンドが名前を尋ねられたところで、彼の顔のクローズアップが映り、静かに彼が答えます。「ボンド、ジェームズ・ボンド」。私がこの映画を観た夜、観客は大喝采を送っていました。」(「密売されるロマン主義」『ロマン主義宣言』所収)

当時、あらゆる社会的・文化的事象に対して、常に歯に衣着せぬ辛辣な意見を述べていたランドとは思えないほどの手放しの惚れこみようだが、公開時点でのほとんどの映画評では「セックスとバイオレンスに充ちた下品な作品」といった意見が大半を占めたとされるなか、新人コネリーの才能をいち早く見抜き、この時点で観客の視点を代弁するかのような肯定的評価を下している点は、まさしく「大衆の普遍的ニーズ」を正しく認識していたベストセラー作家ならではの慧眼といえるだろう。

ランドがボンド映画に興味をもった理由は、もともと原作者イアン・フレミングの大ファンであり、スリラー小説を、「現代文学から消え失せたロマン主義的特質の最後の避難所」とみなしていたからにほかならない。

ランドの定義によれば、スリラー小説とは、「単純化された、初歩のロマン主義文学」であり、「目的同士の衝突、すなわち“価値を追求する意図的な行動”同士の衝突」を、「選択、目標、葛藤、危険、闘争、勝利の基本パターンを、ドラマ化された抽象として描いたもの」だという。つまり、英国秘密情報部MI6の特命を受けて行動するボンドと、あの手この手のテロ行為によって世界征服を果たそうとする犯罪者との現実離れした対決は、「目的同士の衝突」であり、人々は、そこに「ロマン主義」的な「人間能力の発揮」と、「自分にとっての価値のために闘い、自分にとっての価値を勝ち取る能力」のスペクタクルを見てとり、「自分が人生で直面する道徳闘争において、自分にとっての価値のために闘うためのインスピレーションを得る」ことができるのだと。

その意味において、ジェームズ・ボンドは「英雄」であり、ロマン主義は、「現実の中で、人が直面せざるを得ない闘いに向け、人を訓練し、武器を与える」のだとする。そして、フレミングの小説は、「ロマン主義的フィクションの基本要素」を提供しているがゆえに、大衆の「熱烈な、忠実な、ほとんど中毒的までの支持」を獲得したのだとしている。

同様に、世界的なベストセラー『薔薇の名前』の作者としても知られる、記号学者のウンベルト・エーコは、フレミングの小説のなかに、「マニ教的」な二元論にもとづいたパターン化された叙事詩的構造を読み取ったが、そうした形式主義こそが、フレミングの小説が「人々の基本的な連想網を作動させ、始原的で深い活動力に訴える」要因であると分析した。
いっぽうで、神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、『千の顔を持つ英雄』において、世界中の英雄神話や寓話を調査・分析し、そのなかにある一定の構造を見い出した。キャンベルの定義によれば、「英雄とは、かれ個人の生活空間と時間を超えて、普遍的妥当性をもった人間の規範的ありようをたたかい取るのに成功した男または女である」とされるが、この言葉は、ランド的英雄の特質にもそのままあてはまる。
それらを踏まえると、フレミング同様、つねに“英雄”を主人公とするランドの小説作品(特にスリラー的要素を含む『肩をすくめるアトラス』)もまた、広く大衆に支持される要因となる英雄神話的構造をもっているといえるのではないだろうか。(英雄神話的構造をもつスリラーとしては、トレヴェニアンの傑作『シブミ』も挙げておきたい。)

さて、ランドは、前述のエッセイの中で、英雄が出てくるフィクションのもつ効用について次のように述べる。

「英雄の一般化された抽象は、すべての人が自分をジェームズ・ボンドと同一視することを可能にします。このとき人は、英雄の抽象によって輝き支えられた自身の具体的現実を、ジェームズ・ボンドに重ね合わせるのです。それは意識的なプロセスではなく、感情的な統合です。ほとんどの人は、自分がスリラーに見出している楽しみの理由がこれであることを知らないのです。英雄の中に人々が求めているのは、指導者でも保護者でもないのです。英雄の功績はいつもきわめて個人的で、非社会的なのですから。人々が求めているものは、深く個人的なものです。すなわち、自信、果敢さを求めているのです。人は、ジェームズ・ボンドに触発されて、親戚からの不当な要求をはねのける勇気を得るかもしれません。貢献にふさわしい昇給を求める勇気を得るかもしれません。転職する勇気を得るかもしれません。愛する女性にプロポーズする勇気を得るかもしれません。望んでいる職業に進む勇気を得るかもしれません。自分の発明を守るために世界と闘う勇気を得るかもしれません」(佐々木一郎訳)

ちなみに、コネリーの追悼コメントを発表したマイケル・ケインは、1960年代に、ボンド映画の製作者の一人、ハリー・サルツマンが製作したもうひとつのスパイ映画シリーズ(『国際諜報局』、『パーマーの危機脱出』、『10億ドルの頭脳』の3本)で、ハリー・パーマーという、ボンドとは対照的な、英雄とはほど遠い、冴えない等身大のスパイを演じたことでも知られるが、じつは、自身の娘の名前を、『水源』のヒロインの名である“ドミニク”と名づけたほどのアイン・ランドの熱烈なファンでもある。ということは、大親友であったコネリーも、ひょっとするとケインに薦められて『水源』を読んでいた可能性も……絶対にあるとは言えないが、まったくないとも言い切れない。

考えてみれば、シリーズの人気が頂点に達した1967年、周囲の懇願にも耳を貸さずにボンド役を降板したコネリーの決断は、シリーズの存続を根底から揺るがせたばかりか、自らのキャリアの土台を吹き飛ばす暴挙ともいえる出来事だったといえるが、あのふるまいこそ、ある意味、コネリーが取った“ハワード・ローク”的行動だったとはいえまいか。
(その後、コネリーは、『ダイヤモンドは永遠に』(1971)で一時的にボンド役に復帰するも、これは、コネリーが、そのオファーを断るつもりで提示した破格のギャランティに対し、プロデューサー側がまさかの承諾をしたための結果であり、その後、コネリーは、不本意な仕事で得た出演料を全額、故郷であるスコットランドの慈善団体に寄付してしまったという。)

バカげた妄想といわれることを覚悟の上で、これとよく似た例を挙げるならば、1980年代後半、セールス的にはキャリアの絶頂期を迎えていたデヴィッド・ボウイが、突然ティン・マシーンというバンドを結成し、それまでの楽曲をすべて封印、今後はハードロック・バンドの一メンバーとして活動すると宣言したときの状況を思い起こす。

このときボウイが取った破壊的態度について、ロバート・ディーン・ルーリーは『We Can Be Heroes – The Radical Individualism of David Bowie』のなかで、次のように述べている。

「ティン・マシーンは、デヴィッド・ボウイが取った“ハワード・ローク”的行動の一つとみなせるかもしれない。アイン・ランドの『水源』で、強靭な意志を持った主人公のロークは、自分が設計した集合住宅を部外者による改悪から守るため、ダイナマイトで爆破する。隠喩的には、ボウイはティン・マシーンというブロジェクトによって、自分自身のキャリアを爆破したのだ。短期的には、彼が失ったものは大きかった。セールス的にささやかな成功があったものの、このバンドの耳障りなまでに商売を無視したデビューのせいで、ボウイは所属するレーベルEMIと決裂することになった。さらに、後に続くアルバム『ティン・マシーンⅡ』とライブアルバム『Oy Vey Baby』は、このバンドを引き継いだレーベルであるヴィクトリー・レコードを、文字通り破産させた。
ファンも群れをなして離れていった。表面的には、ティン・マシーンはキャリア絶頂での愚行だった。あらゆる方面から嘲笑を浴びながら妥協しなかったボウイの態度は、「気難しい芸術家」という最悪の決まり文句に、確証を与えるかに見える。だがより深いところでは、それは創造的サバイバルのための行動だった。ボウイにとって、そこは初めての場所ではなかった。実のところ彼のキャリアの最初から、彼のパーソナリティと芸術創造には、恐ろしいまでの個人主義的傾向があった。ティン・マシーンでボウイがとった行動は、その再燃だった。」(佐々木一郎訳)

コネリーの知られざる出演作に『素晴らしき男』(The Fine Madness、1966)という映画がある。コネリーは、常々、出演作のなかでもっとも気に入っている作品として、この映画を挙げていた。この映画のなかでコネリーはビートニクの詩人という、ボンドとはかけ離れた役を伸び伸びと楽しそうに演じていた。この映画に出たことが、おそらく、ボンド役を降板した理由につながったと考えられる。自分が演じたい役は、ボンドではないと確信したという意味で。

ボウイと同様、ボンド役を降板した後のコネリーのキャリアもまた、長らく低迷を続け、俳優としての実力が本当の意味で認められたのは、中世版ジェームズ・ボンドともいえる『薔薇の名前』(1986)の修道士役(フレミングの大ファンだった原作者のエーコにとっては、コネリーが主演したことの意味は、“個人的”な意味で大きかっただろう)や、念願のアカデミー賞(ただし助演男優賞だったが)をもたらした『アンタッチャブル』(1987)(この映画の基となったロバート・スタック主演のTVシリーズは、ランドのお気に入り番組だった)など、晩年にいたってからだった(授賞式で、「忍耐こそは力です」と言っていた姿が忘れられない)。それでも、自分が本当に演じたい役だけを演じる信念を貫いたという意味において、そして、そのキャリアの絶頂期に、自ら演じたジェームズ・ボンド以上に個人主義的な判断を下したという意味において、俳優ショーン・コネリー自身もまた、ランド的な英雄のタイプに属していたといえるのではないだろうか。

というのは、いささかこじつけにすぎるとはいえ、フレミングの実質的な遺作となった『007は二度死ぬ』は、日本を舞台にボンドが活躍する異色作だが(じっさいにフレミングは「二度」日本を訪れ、全国各地を取材して、瀬戸内海の孤島をボンドの最後の活躍の舞台に設定した)、小説の最後で、九州に潜伏していた宿敵エルンスト・スタヴロ・ブロフェルドを倒したボンドは、頭に傷を負い、それまでの自身の記憶を完全に喪失する。最後の任務を果たしたボンドは、瀬戸内海で、「轟太郎」という日本名(「太郎」は、欧米でもっとも平凡な「ジェームズ」という名前を表わし、「轟」という苗字は、「Bond」すなわち「ボン!」という爆発のイメージを表わす。)で、心優しい日本人の妻を娶り、一介の漁師として余生を過ごすという驚くべき設定になっている(小説の最後で、ボンドが記憶を取り戻すことがニュアンス的に示されてはいるが)。フレミングが、自身の分身であるボンドに与えた最終的な姿が「日本人の漁師」だったという事実は、原作とは程遠い内容の映画版(映画の脚本は、『摩天楼』でドミニクを演じたパトリシア・ニールと当時結婚していたロアルド・ダールだったことも、ランドとの因縁を感じさせる)しかみたことのない者にとっては意外におもえるだろうが、それが、(その後、2本の映画でボンド役を演じたとはいえ)コネリーの実質的な最後のボンド役だった。その姿が、どこかコネリーの最晩年の姿と重なり合ってしまうのは、日本人ファンだけが知る特権といえるかもしれない。

いずれにしても、ショーン・コネリーが演じたジェームズ・ボンドの姿は、世界中の観客に「深く個人的かつ非社会的」な勇気と自信を与えたことはまちがいない。いっぽうで彼は、まさしく、現実の、具体的な、本物の「素晴らしき男」だったのだ。

註1)原作小説の第一作目である『カジノ・ロワイヤル』には、非人間的な機械になる前の「人間ボンド」の葛藤が描かれているシーンがあり、そこでは善と悪についての抽象的な議論が展開されている。