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2020.12.08

ジョン・レノンが語る「お金」の話
John Lennon talks about “MONEY”

Category : アート
Author : 宮﨑 哲弥

女性記者:あいさつ代わりに何か歌ってくれませんか?
ポール、リンゴ、ジョン(一斉に):ノー!
男性記者:なんで歌ってくれないんですか?
ジョン:まず、金が先だ。
男性記者:アメリカから持ち帰りたいものはありますか?
ジョン:ロックフェラー財団。
男性記者:アメリカのファンへ伝えたいメッセージは?
ポール:もっとたくさんザ・ビートルズのレコードを買いなさい。
男性記者:人気がなくなったらどうしますか?
ジョン:稼いだ金でも数えるさ。

1964年2月7日、ニューヨーク、ジョン・F・ケネディ空港におけるザ・ビートルズの記者会見より

 その日、ニューヨークの自宅のTVで、この記者会見の模様を大笑いしながらみていたアイン・ランドは、その二日後に(視聴率72%を記録した)「エド・サリヴァン・ショー」に出演したザ・ビートルズを観て、「心理認識論」註1的に興味をそそられた……のかどうかは知る由もないが、60年代に、ナサニエル・ブランデン研究所(NBI)の受講生だったある人物の証言によれば、「(聴衆から)ポピュラー音楽、具体的にはビートルズについて尋ねられた彼女は、特にポピュラー音楽が好きなわけではないけれど、少なくともビートルズはきちんとした身なりをしているわねと言っていました」とのこと。(McConnell, Scott 2010. 100 Voices An Oral History of Ayn Rand. New American Library, p176)

 また、晩年のランドと親しい交流のあった哲学研究者のハリー・ビンズワンガー博士は、「1979年か1980年に、彼女は私にこう語りました、(自分にとって)ただのノイズではなく、音楽として聴こえる類いの最後のロックはビートルズだと。(ロックン・ロールを毛嫌いしていたはずの)彼女がそこまでビートルズを肯定的に捉えていたことに驚かされたものです」と語っている。(前掲書、p590)

 ランドが、(彼らが「きちんとした身なりをして」いた)デビュー当時からずっと「ザ・ビートルズ」に興味を持ち続けていたという意外な事実は、たしかにちょっとした驚きではあるが、いくらランドが彼らを「肯定的に捉えていた」にせよ、解散後のジョンとヨーコの活動に対して、同時代人として共感をよせることは、思想的にも政治的にも美学的にもまったくあり得ないと誰もがおもうはずだ。(それどころか、その芸術理論において、あらゆるモダンアートを、理性の破壊をもたらす、美学的に完全に無価値なものとみなすランドにとっては、モダンアートの実践者であるヨーコに対しては、激しい嫌悪感をおぼえていたにちがいない。)

 それでもやはり、「1979年か1980年」時点において、「ビートルズを肯定的に捉えていた」ことが事実であるとしたら、ジョン・レノンという人物に対して、同じニューヨークに住む、世間に広く名を知られた文化人・芸術家の一人として、少なからず興味を抱いていたのではないか。

 もしそうだったとすれば、今から40年前の1980年12月8日月曜日の午後10時50分(日本時間12月9日(火)午後1時前後)に、当時ランドが住んでいた、エンパイアステートビルが見えるマンハッタン東34丁目のアパートメントからさほど遠くない距離にある、西72丁目のダコタハウス前で起きた悲劇的な事件は、彼女にとっても衝撃的な出来事だったことは想像に難くない。

 いずれにせよ、もし生きていればジョンも今年で80歳になるわけだが、そんな姿はとても想像しがたいという人は、アルフォンソ・キュアロン監督のディストピアSF映画『トゥモロー・ワールド』(2006年、Children of Men)を観るとよい。エンディングで《Bring On The Lucie (Freda People)》が流れるこの映画で、丸メガネに長髪のヒッピー崩れの偏屈な“Dirty Old Man”を演じている英国人俳優マイケル・ケインは、まさしく年老いたジョン・レノンを髣髴させる風体だった。

 じっさい、若いころの両者の容貌は雰囲気がよく似ており、60年代にはケインの専属スタントマンが、映画『ヘルプ!』(1965)等でジョンのボディ・ダブル(アクションシーン等での替え玉)を演じていたという。実生活でも、ジョンは、『水源』のヒロインにちなんで、長女を「ドミニク」と名づけるほどのランド愛読者であるケインとは飲み友達同士だったらしいが、ランドもまた、マイケル・ケイン主演の『泥棒貴族』(Gambit, 1966)のことを、チャーミングなロマンスと巧妙なプロットをもつ映画として、大のお気に入りに挙げていた。(Sures, Mary Ann and Charles, 2001. Facets of Ayn Rand. Ayn Rand Institute Press, p133)

 マニアにしか通じないニッチな話はさておき、いまや最大多数の最大幸福を求める「愛と平和のエバンジェリスト」的なイメージが独り歩きして、巷間にすっかり定着してしまった感もあるジョン・レノン。もちろん、ヨーコと共にそうした活動に専念していた時期があったことは事実にせよ、その死後、必要以上に美化されて膨れ上がってしまった聖者のごとき一面ではなく、歌手/音楽家としてのジョンの本源的な魅力がまた別の一面にあったことは、真のファンなら誰でも知っている。

 ザ・ビートルズのデビュー前からの重要レパートリーであった《Money (That’s What I Want)》(英盤『With the Beatles』/米盤『The Beatles’ Second Album』収録)で、ジョンは、割れんばかりに声を張り上げてこう歌っていた。

 〝人生で最高のものはタダ(free)だって?/そんなものは鳥か蜂にでもくれてやれ/おれが欲しいのは金/ほかには何もいりゃしない/おまえの愛は刺激的だけど/その愛じゃおれの請求書は支払えない/さあ金をくれ/うなるほどの金を/おれは自由(free)になりたいんだ!〟

 地元のキャヴァーン・クラブで、この曲を毎晩のように演奏していたデビュー前のザ・ビートルズを何度もみたという当時十八歳だったジェフ・デイヴィス(後にリヴァプールでレコード店を経営)は、次のように語る。「ぼくのお気に入りの一曲は〈マネー〉だった。彼らはいつもイントロを変えて演奏していた。長いイントロを演奏することもあって、それからあのジョン・レノンのボーカルでいきなり『人生で最高のものはタダだ』と始まるんだ。それまで誰も、あんなふうに歌ったことなんかなかったよ。すごく猥雑で恐ろしい感じで、その野卑なところがまたいいんだ。あの『どうでもいいや』みたいな態度や、彼らのスタイルや、曲と曲のあいだ飛ばすジョークが恰好良かった……でももちろん、『どうでもいい』どころか、ほんとうはすごく一生懸命だったんだけどね」(マーク・ルイソン『ザ・ビートルズ史(下)〈誕生〉』2016年、山川真理、吉野由樹、松田ようこ訳、河出書房新社、246頁)

 たしかに、若き日のジョンの歌声は、他の誰にも似ていない、したがって他の誰にも真似のできない(事実、ボブ・ディランの声色や歌唱法のモノマネはできても、いまだかつてジョン・レノンのモノマネができた者はいない)、聴く者の耳に襲いかかってくるような暴力的な性質を帯びており、その岩肌のようにゴツゴツとした尖った声がぶちかますケタ外れのパワーによって、空洞化した権威や硬直化した固定観念を根こそぎなぎ倒すかのように勇ましく響いた。(奇妙なことにジョン自身は自分の地声が大嫌いだったらしいが。)

「レノン独特の、ソウルフルで、エッジが効いた噛みつくほど鋭いボーカル」(ルイソン)による絶唱に比べると、黒人歌手バレット・ストロングによる原曲は迫力に欠けることおびただしく、「私にはお金が必要なんです」と懇願しているようにさえ聴こえてしまう。それもそのはず、ジョンは、原詩の”I need money”を、”Now give me money”に変えたり、最後のコーラスで、”I wanna be free!”というオリジナルにはないシャウトを加えたりして、歌い出しの”free”(タダ)と皮肉っぽく対比させたり、歌い方だけではなく、歌詞にも独自の解釈を施していたのだった。

 ジョンは、よほどこの曲に思い入れがあるとみえ、1962年1月1日に行われたデッカ・レコードのオーディションでも1曲目に演奏しているし、1963年7月18日の公式レコーディングから6年後の1969年9月13日(最終レコーディング作『アビー・ロード』が発売される約2週間前)にトロントで行われたソロ・パフォーマンスでも、エリック・クラプトンや、クラウス・フォアマン、(イエス加入前の)アラン・ホワイトらを従えて、プレスリーの《Blue Suede Shoes》とともに《Money》を披露している。つまり、この曲は、ロックンローラーとしてのジョンの本来的性質(nature)を、この上なく端的に映し出しているというだけでなく、ジョンのザ・ビートルズとしての活動史における最初期と最後期をつなぐ一曲であるという意味においても、他のカヴァー曲とは一線を画す、きわめて重要なナンバーとみなすことができる。

 「ジョンが(自身にとっての)ヒーローのエルヴィス・プレスリーから学んだいちばん大切なことは、評論家のデイヴ・マーシュもいっている通り、本質的な妥協をしない、万難を排した個性の尊重であった。(……)ジョンが最後のコーラスと叫び声で「オー! イエー、アイ・ウォナ・ビー・フリー!!!」と解き放たれるときの、その歌いっぷりがあまりに烈しいので、それは欲求というよりもまるで脅しのように聞こえる。エルヴィスが『ブルー・スエード・シューズ』や『ハウンド・ドッグ』を歌って以来、これはロックン・ロールによるきわめて大胆な宣言だった。ジョンは最高のロックン・ロールのいいところをすべて実現しながら、陽気さ、自発性、絶望に直面してもめげず世間一般の物差しを克服する勇気──というロックン・ロールの強みが、人生観ばかりでなく生き方そのものを永遠に変えてしまうことを立証したのだ」。(ティム・ライリー『ビートルズ全曲解説』岡山徹訳、東京書籍、1990年)

 ジョンが、比喩でも皮肉でも逆説でもなく、全世界を相手に、「オレが欲しいのは金だ!」(Money that’s what I want)と、ストレートに絶叫(脅迫?)していた一方で、「ぼくの愛はお金じゃ買えない」(Money can’t buy me love)と、すまし顔で歌っていたポールもまた、1964年の『PLAYBOY』誌のインタビューでは、次のように語っている。

 大金を稼ぐことにいつも感動を受けているわけじゃないなんて言ったら、僕たち、バカにされるよ。誰にとっても、大金を稼ぐってことは感動的なものなのさ。大企業のお偉方が、その地位から下りないのはなぜだい? 大企業の偉大さに感動しているからじゃないよ。大企業にいることで大金が稼げるからさ。精神的満足感だけを求めてこの仕事をしているような顔をしたとしたら、僕たち、バカにされるぜ。最初はそうだったけれども、同時に、少しは金を稼ぎたいと思っていたじゃないか。ただ、いまは事情が変わってきてるんだ、昔とはね。昔は、主に精神的満足感を求めて音楽をやっていて、大金は稼いでいなかった。いまは大金は稼いでいるけれど、精神的満足感はあまりない。自分たちが稼いでいる金を、僕たちがたまたま気に入っているということを除いてはね。(PLAYBOY INTERVIEW 1964、米版『PLAYBOY』1965年2月号/日本版『月刊PLAYBOY』2004年1月号、五十嵐哲訳、中山康樹監修)

 このインタビューが行われた1964年といえば、前述したように、ザ・ビートルズがアメリカに初上陸し、空前絶後の一大ブームを巻き起こした年としても記憶されるが、アイン・ランドの代表作『肩をすくめるアトラス』もまた、同時期にアメリカ国内で百二十万部を超えるベストセラーとなっており、同年の『PLAYBOY』誌は、2月号のウラジミール・ナボコフ(当時、『ロリータ』がベストセラーになっていた)に続いて、3月号に未来学者アルビン・トフラー博士によるランドのロング・インタビューを掲載した。アメリカにおいて、ザ・ビートルズとアイン・ランド(及びジェームズ・ボンド)の人気は、1964年を起点とする完全に同時代的な現象であったともいえる。(初のアメリカ滞在中に発売された同誌3月号を、彼らがマイアミかどこかのホテルで偶然手にした可能性も高い。)

 ランドが自らの思想を、簡潔かつ、あますところなく語りつくしたこの記事は、数ある「PLAYBOY INTERVIEW」のなかでも、白眉の1本とされている

 インタビューのなかで、ランドは、「あなたは、自己の幸福こそが最高の目的であり、自己犠牲は悪であると考えています。これは仕事だけではなく、愛にもあてはまりますか」というトフラーの質問に対して、次のように語っている。

 愛にこそ、他の何よりも当てはまります。あなたが誰かを愛しているということは、その人物があなたにとって、そしてあなたの人生にとって、個人的に、自己本位に、きわめて重要であるということです。もしあなたが無私であるなら、あなたは自分が愛する人との交際からも、その人の存在からも、いかなる個人的な喜びも幸福も得ないということになります。「その人物があなたを必要としている」ということに対する自己犠牲的な憐れみだけが、あなたの動機だということになります。こんな考え方を喜ぶ人もいないことは、わざわざ指摘するまでもありません。愛は自己犠牲ではなく、あなた自身にとっての必要と価値の、もっとも奥深い肯定なのです。あなたが愛する人を必要とするのは、あなた自身の幸福のためです。そしてそのことこそが、あなたがその人物に与え得る最高の賞賛なのであり、最高の贈り物なのです。(PLAYBOY INTERVIEW 1964、米版『PLAYBOY』1964年3月号、佐々木一郎訳)

 このインタビューで、彼女は、「お金」ではなく、「愛」の価値について語っているが、『肩をすくめるアトラス』のなかでも、次のように述べている──「理由のない富がありえないように、理由のない愛も感情もありえない。感情は現実への反応、人の基準がくだす見積もりである。愛とは価値をみとめることだ」、「愛とは価値観の表現であり、人が築きあげた人格と人物の徳のためにかち得ることができる最高の報酬、ある人間が別の人間の美徳から受ける喜びに支払う感情的対価のことだ」。(脇坂あゆみ訳、以下同)

 「愛とは価値をみとめること」であり、「喜びに支払う感情的対価」だとみなすランドにとって、「お金」に対する考え方もまた本質的には同様のものだ──ランド曰く、「お金は生産された商品と生産する人間なくしては存在しえない交換の手段」であり、「取引を望む人間は交換によって取引し、価値のあるものを受け取るには価値のあるものを与えなければならないという原則を形にしたもの」だという。そして、「お金はあなたの商品を泣きながらねだるたかり屋や、力ずくで奪う横領者の道具」ではなく、「生産する人間がいてはじめて機能する」ものであり、「ものに執心することはその性質を知って愛するということ」──すなわち「お金に執心することは、お金が自分の中の最高の力を使って創りだしたものであり、あなたの努力の成果を人間の最高の成果と交換するための合鍵でもあるという事実を知って愛するということ」なのだと。

 ただし、ランドはこう付け加える──「お金は常に結果であり、あなたに代わって原因になることはない。お金は美徳の産物だが、美徳をくれはしないし、悪徳を贖ってもくれない。物質的にも精神的にも、稼いでいないものを与えない」。

 さて、1980年、その衝撃的な死の直前に行われた、同誌によるジョンとヨーコのインタビューもまた、「PLAYBOY INTERVIEW」史上、もっとも有名な記事のひとつだ。このなかで、ジョンは、「愛」ではなく、「お金」の価値に対する自らの考えを赤裸々に述べている。

 イギリスでは基本的にはふたつの立場しかとれない。労働運動を支持するか、資本主義運動を支持するかだ。僕の階級なら、右翼の独善的な労働者か、僕がかつてそうだったように本能的な社会主義者になるかだ。僕は、人々が入れ歯や健康について国から面倒をみてもらうべきだと思う。だが、それは別として、僕は金のために働いたし、金持ちになりたかった。だからといってそれが何だ。もし、それがパラドクスなら、僕は社会主義者じゃない。だから何だ。(……)昔は、金に対するうしろめたさがあった。だから、金がなくなったんだ。寄付をしたり、いわゆるマネージャーに丸めこまれたりしてね。だが、潜在意識としては金を持っていることに罪悪感をもっていたから金がなくなったんだ。(『ジョンとヨーコ ラスト・インタビュー』石田康子訳、集英社、1990年)

 この発言はまさしく、『肩をすくめるアトラス』のある登場人物によって表明される──「お金を稼ぎ、それを守りたいとおもう諸君には最高の美徳が要求される。勇気も誇りも自信もない人間、自分のお金への権利について道徳観念がなく、命を守るようにそれを守る覚悟のない人間、裕福であることに恐縮する人間は、いつまでも豊かでいつづけることはできない」という、お金に関するランドの信念を立証しているかのようでもある。「金に対するうしろめたさ」をもった者は、ランド曰く、「何世紀も岩陰に潜み、富める罪の許しを請う者をかぎつけた途端に這いでてきて群がるたかり屋の天然餌になるからだ」。

 ジョンは、さらにこのように続ける。

  僕は金は罪悪と同じだと思っていたんだ。わからないけど。でも、もうそれは克服したと思う。僕は行動するか黙るかしかないからね。もし、何も持たない僧侶になるならなる。金を儲けようと思ったら、儲ける。金はそれ自体が諸悪の根源だというわけじゃない。金はただの概念だ。ただのエネルギーだと言ってもいい。だから僕は、金そのものや金を儲けることを甘んじて受けいれるようになったとも言えるんだ。昔はずっと金を無視していた。(……)僕らは金がそこにあるという現実に直面しなくてはならなかったのに、僕はいつもそれを避けてきた。僕は元々、金と付き合うにはあまりにも芸術的すぎたんだ。僕は社会主義者で、たまたま金を稼いでしまったんだとね。金を無視したからいつも問題が起きた。(前掲書)

 『肩をすくめるアトラス』には、「芸術家は、あらゆる商人のうちでもっとも冷徹な商人」だと語る天才作曲家も登場するが、かつてのジョンがそうだったように、いまだ芸術家にとって、ビジネスマンは敵であり、お金を稼ぐことは罪悪であるという認識が、ある種の美徳として世の中にまかり通っているようでもある。しかし、上記の発言からもわかるように、ジョンは、本来、「自分のお金への権利について道徳観念がない」人間ではなかったし、「金は罪悪」でもなく、「諸悪の根源」などでもない単なる道具としての「概念」であることを最終的に認識していた。(かつて「神とは、我々の痛みを測る概念だ」と歌ったように。)

 ランドもまた、「お金は道具にすぎない。あなたを行きたいところへ連れて行ってはくれても、代わりに道筋を示してくれることはないからだ。欲望を満たすための手段はくれても、欲望そのものをくれることはない。お金は、因果律をひっくり返そうとする人間──思考の産物を奪うことで思考の代わりにしようとする人間にはたたりとなる」といっているが、ジョンが昔から、自らが努力して稼いだお金を守りたいと考える人間だったということは、60年代からジョンと親しい付き合いのあった「メロディーメーカー」誌の元編集長で、音楽ジャーナリストのレイ・コールマンによる以下の証言からもうかがえる。

 政治的信条においてジョンは社会主義のような考え方をしたが、彼は保守党に投票しなくちゃと言っていた。彼らは国のやりくりの仕方をよく知っているから、というのがその理由だった。金のこともかなり強力にある、と彼はよく私に言っていた。彼曰く──『心の奥底では僕は労働党だよ。政治は気分だけど、自分の金は守らなくちゃならんだろ?』(レイ・コールマン『ジョン・レノン』(上)、岡山徹訳、音楽之友社、1986年、361頁)

 この記述が事実だとすれば、“Imagine no possessions”と歌っていたジョンの二枚舌も相当なものだという批判の声が各所からきこえてきてもおかしくないが、前述の発言にあるとおり、ジョンにとって「金はただの概念」であり、最終的に「金そのものや金を儲けることを甘んじて受けいれるようになった」のであれば、ジョンの歌った「所有」とは、いわゆる「物欲」を指すのではなく、「金は諸悪の根源である」というような誤った概念の所有を意味していたともいえる。言い換えれば、かつてのジョンは多くの人々が期待する「本能的な社会主義者」(労働階級の英雄)としての役割を演じていただけにすぎず、そうした前提を確認すれば、彼の頭のなかで「所有」の概念をめぐる矛盾は完全に解消していたとみてよいだろう。そのことは以下の発言からもうかがえる。

 僕は一文無しでは満足できなかった。100万ドル持っていても、1億ドル持っていても満たされなかった。満足というものは金では得られないものなんだよ。金はエネルギーだ。電気みたいなものさ。それで人の命を奪うこともできるし、人の家に明かりを灯すこともできる、金の秘密はそれが巡るものだというところにある。これは僕が学んだことのひとつだ。でも、金には責任をもたなくてはならない。(……)別に世捨て人みたいなローブを着て歩き回らなくても、自分が所有しているものを超越することは可能だ。所有しているものというのは、自分の心の中にある。(……)だいたいの人は、概念やら観念やらをたくさん持ち歩いていて窒息せんばかりだ。それも、普通は彼ら自身のものではなくて、親や社会の概念や観念の受け売り。針の穴を通るためには、そういう所有物を捨てなければならない。物質的な所有物とはまったく関係ないんだよ。(ジョン・レノン、ヨーコ・オノ『イマジン』川岸史/岩井木綿子訳、ヤマハ・ミュージック・メディア、2018)

 これらの発言を踏まえると、ジョンが夢想した、“No need for greed or hunger”と歌われる、天国も地獄もない、すべての人々が“今日のために生きている”社会──見方によっては究極の共産主義的ユートピアと、ランドが夢想した、すべての“正直な”人々が、“理性”による合理的な判断に基づいて、いかなる仕事であろうと、それぞれの能力に応じて生み出した価値に対して、それに見合った適切な報酬を得る社会──すなわち、等価交換の原則に基づく自由放任資本主義による「強欲のユートピア」(The Utopia of Greed)は、一見、共に「反‐宗教」という共通の軸だけでつながっている──といってもジョンは、神や宗教を信じないといっているだけで、ランドのように完全否定しているわけではないが──こと以外は、完全に異なる、まったくかけはなれた世界のようにみえて、あたかも、両極端が一致するかのように、まさしくネガとポジのように(いずれも「絵空事」であることに変わりないにせよ)相互補完的な関係で重なり合っているようにみえる……と言ったら、さすがに穿ちすぎだろうか。

 そういえば、映画『マジカル・ミステリー・ツアー』のなかで、ルイス・キャロルの『鏡の国のアリス』に出てくる有名な詩「セイウチと大工」からヒントを得た自作曲《I Am The Warlus》を、自らセイウチに扮して歌っていたジョンは、後に、キャロルがセイウチを「強欲な資本主義を象徴する邪悪な存在」として描いていたことを知って、「セイウチ」ではなく「大工」にするべきだったと冗談交じりに語っていたが、じっさいにセイウチの着ぐるみを着てしまった事実がある以上、潜在意識のなかではキャロルの詩のなかの「セイウチ」に感情的に肩入れしていたとみていいだろう。

 ところで、世界でもっとも売れたレコードのひとつ(累計販売枚数5,000万枚以上とされる)である『狂気』(The Dark Side of the Moon、1973)に収録されている《Money》において、はっきりと「金は罪悪」であり、「諸悪の根源」であると歌ったのは、ピンク・フロイドだった(歌っているのはデヴィッド・ギルモアだが、作詞・作曲はロジャー・ウォーターズ)。

金、それは罪悪さ
公平に分けようぜ、でも俺の取り分には手を出すなよ
Money it’s a crime
Share it fairly, but don’t take a slice of my pie

金、だから奴らは言うのさ
こいつは諸悪の根源だって
Money so they say
Is the root of all evil today

 オリジナル・メンバーであり、ウォーターズとは、リージェント・ストリート・ポリテクニーク(現・王立ウエストミンスター大学)建築学科の同級生でもあったキーボード奏者のリック・ライト(故人)は、この曲の歌詞にもみられる、ウォーターズが本質的に備えている欺瞞性について、次のようなエピソードを語っている──「ロジャーと僕の間には、心理的な溝があったのは間違いないし、政治に関する見解についても大きな隔たりがあった。彼は頭でっかちの社会主義者だったからね。だからといって、僕が右翼だったわけではないよ。『狂気』がヒットして、多少のお金が手に入った時に、僕は田舎に家を買ったんだ。そうしたらロジャーに、こんこんと説教されたよ。『こんなことをするなんて信じられない、お前は金の力に負けた。最悪だ』って。なのにそれから半年後、ロジャーは僕のよりずっと大きな家を田舎に買ったんだ。だから言ってやったよ。『前に僕に言ったことを覚えているか?』って。でもやつは『ああ、覚えているよ。でも家を買ったのは妻の望みなんだ、僕じゃない』って言うんだ。マジで最低だよ。偽善的だと思うね」。(初出:1995、『MOJO』、フィル・サトクリフによるインタビュー/『ロッキングオン』2016年11月号、ながさわともこ訳)

 ふたたびランドの言葉を借りるなら、「人格を見極める手がかりとなるものについてひとつお教えしましょうか。お金をののしる者はそれを卑劣なやりかたで手に入れ、お金を敬う人間はそれを稼いだのです」、「金が邪悪だと言う人間からは一目散に逃げたまえ。その文句はたかり屋の接近を告げる警鐘なのだ」となるが、その意味において、後年、ウォーターズとの確執がエスカレートした結果、バンドを脱退したライトは賢明な選択をしたといえるだろう(父子二代にわたる筋金入りの社会主義者であるウォーターズにとっては、ライト(Right)という名前自体、気にくわなかったのかもしれない……というのは冗談だが)。

 ちなみに、音色に対する抜群のセンスをもち、他のバンドにはけっして真似できない味わい深いサウンド作りに貢献したリック・ライトが参加していないフロイドのアルバムは、味もそっけもない貧弱なメロディに、ウォーターズによる恐怖、罪悪感、自己憐憫、悲観論、シニシズム、人間不信、被害妄想等々が過剰に満載された陰鬱な歌詞と、こけおどしの効果音が垂れ流されるだけの空疎な形骸でしかなかった(どのアルバムを指しているかはご想像にお任せするとして)。

 音楽学者エドワード・マッカンが指摘しているように、基本的に19世紀クラッシック音楽の系譜に連なる、個性と自由を尊重し、人間の能力の可能性を称揚する「ロマン主義的」傾向をもつ全盛期のプログレッシブ・ロックという特定の音楽ジャンルにおいて、ウォーターズ主導による、人間とは卑小な存在であり、運命に抗うことはできず、ひたすらドブの底を這いまわるだけだという「自然主義的」世界観をそなえた一時期のピンク・フロイドの音楽は、きわめて異質なものだったといえる。(参考:Macan, Edward 1997. Rocking the Classics: English Progressive Rock and the Counterculture、『音楽史に刻まれたロック 英国プログレッシブ・ロックと反体制文化』(余田安広訳、水星社、2020年)

 すっかり話がそれたが、「お金」について歌われたザ・ビートルズの楽曲は、前述の《Money》や《Can’t Buy Me Love》にとどまらない。1967年の夏に発表された「愛」をテーマにしたシングル《All You Need Is Love》のB面が、まさしく「お金」をテーマにした《Baby, You’re A Rich Man》(この曲は、マーク・ザッカーバーグをモデルにした映画『ソーシャル・ネットワーク』(2010)のエンディングでも流れた)であったことも、彼ららしい茶目っ気といえるが、その他にも、時の労働党党首であったハロルド・ウィルソン政権が、充実した社会保障の維持のため、富裕層に税率95パーセントという高い税金を課したことに対する痛烈な皮肉をこめた《Taxman》(ジョージ)や、《The Ballad of John & Yoko》(ジョン)、《You Never Give Me Your Money》(ポール)といった楽曲で、同時代の他のバンドとは比較にならないほど「お金」について頻繁に言及している点が興味深い。(ポールがバッドフィンガーに提供した《Come And Get It》を含めてもいいかもしれない。)

 彼らは、伝説的な日本公演を終えた1966年の夏(正確には8月29日、カリフォルニア州サンフランシスコのキャンドルスティックパーク公演)を最後に、いかなる公式発表もないままに、あらゆるコンサート活動を突如停止し、以降、聴衆の前に姿を見せることなくひたすらレコーディングに専念するようになるが──その理由については稿をあらためて考察するとして──、それから3年後の1969年の夏の終わりには、驚異的な創造性に富んだ、そのレコーディング活動もついに終焉を迎える。そして、名プロデューサーであると同時に、ジョン、ポール、ジョージにとっての音楽的メンターでもあったサー・ジョージ・マーティンによる細部まで目配りの利いたプロデュースの下、すでに気持ちの上ではバラバラになっていた四人が、グループとしての最後の力を振り絞るかのように結束して制作された名盤『アビー・ロード』を締めくくる《The End》において、「ザ・ビートルズ」としての最終メッセージともいえる、ある一節が歌われる。

 亡くなる一週間前、ジョンはPLAYBOY誌の依頼を受けて自作曲の解説をまとめる作業を始めた。これは「PLAYBOYインタビュー」から派生した企画で、ジョン自身も、「素晴らしい企画じゃないか。ぼくも記録に残しておきたかったんだ」と興奮していたという。そのなかで《The End》に触れ、次のように語っている。「これはポールのだけど、すてきなラインが一行ある。『君の得る愛は、君が与える愛に等しい (And, in the end, the love you take is equal to the love you make.)』──これはとても宇宙的で哲学的な詞だ。ポールだって、思索しようと思えばできるってことがこれでわかるだろう?」(『ジョン・レノンPLAYBOYインタビュー』PLAYBOY日本版編集部訳、集英社、1981年)

 上から目線の最後の一言がいかにもジョンらしいが、興味深いことに、故ジョージ・ハリスンも同様の発言を(おそらく80年代後半のTVインタビューで)している──「お互いからどれだけ得られるかは、お互いがどれだけ与えられるかによって決まるんだ。すべては自分の内面から始まり、良くも悪くも周りの人たちに広がっていく。でも、僕の基本的な考え方は、僕たちが生み出すことのできる愛は、僕たちに戻ってくる愛に等しいってことなのさ」。(George Harrison, The Dark Horse Yeas 1976-1992, Box Set Bonus DVD, 2004)

 以上の発言から、この曲が彼らにとって特別な意味を持っており、それが伝えているメッセージが、この歌詞を書いたポールだけのものではなく、(曲中でポール→ジョージ→ジョンの順番で3回繰り返されるギターソロを含め)グループとしての「総意」だったことがわかる。(でも、リンゴの発言がないじゃないかという異論に対しては、彼の唯一の「ドラム・ソロ」がそれを雄弁に語っているじゃないかというにとどめておく。)

 すなわち、彼らが”最終的に”歌ったメッセージとは、一方的で、押しつけがましく、利他主義的かつ自己犠牲的な「愛と平和」の押し売りなどではなく、「“最終的に”、受け取る愛の総和は、生み出した愛の総和に等しい」という、数学的に公平な価値交換の美徳であり、それが与える価値は個人の努力の及ぶ限り無限大であり、それに伴って受け取る価値もまた無限大になる、ゼロサムゲームではない、資本主義の本質的法則を体現したメッセージとなっている。
 その根底にあるものとは、「お金」は、「賢者が愚者を、有能な人間が無能な人間を、野心家が怠け者を犠牲にして作られるのではなく」、「すべての正直な人間それぞれの能力に応じた努力によって作られる」ものであり、「正直者とは、みずから生産しただけしか消費できないと知っている人間のこと」であり、「お金は、取引を望む人間は交換によって取引し、価値のあるものを受け取るには価値のあるものを与えなければならないという原則を形にしたもの」であるという、アイン・ランドが提唱した原理と完全に一致する、長期的視野に基づく自由放任資本主義の合理的精神にほかならない。

 当然ながら、彼らは、その場しのぎの偶然や感情に任せて行き当たりばったりの気まぐれで活動をしていたわけではなく、デビュー前から、「世界一のバンドになって、その価値に応じた大金を稼ぐ」という、この上なく明快かつ壮大な目的をもち、その目的を達成して維持するためにはどうすればよいのかということを、常に合理的に判断しながら、その能力が及ぶ限りの最高の仕事をした。「ビートルズは、野心をどこまでも追求した。彼らは『具体的な目標を段階ごとに掲げていた。まずレコードを作る。そして一位になる……』というように」(ルイソン)。ジョン曰く、「ぼくらは成功すると確信していた。単純に、いちばんビッグになりたかった。そうなれると信じていた」、「僕がビートルズのメンバーだったころは、僕たちこそ世界一のバンドだと思ってた。そう信じることが僕らをあれだけのものにしたんだ。(……)僕たちは最高のバンドだと、まだ無名のころ、ハンブルクやリバプールのころからそう思ってた」、「ビートルズの発想は、そもそも(他人が望んでいることをやるのではなく)自分がやりたいことをやるということだったんだ。そうだろ。自分で責任をもって好きなことをやる。もちろん他人を傷つけてはいけないけどね」。(『ジョンとヨーコ ラスト・インタビュー』石田康子訳、集英社、1990年)

 あらゆる価値観が揺さぶられ、次々に転倒していった激動の60年代にあって、『肩をすくめるアトラス』のなかでランドが言ったように、「人が武力ではなく理性を”最終的な”仲裁者とする取引によって生きるときに勝つのは、最高の商品、最高のパフォーマンス、もっとも優れた判断力と能力をもつ人間であり──人は生産に応じた報酬を受け取るようになる」という規範を、身をもって示した存在こそ、「ザ・ビートルズ」だった。そして、ランドもまた、彼らの音楽が聴き手にもたらす途方もないよろこびの価値を、心理認識論的にはっきりと認知していたとすれば、彼女が彼らを肯定的に捉えていたことは、けっして驚くようなことではなく、むしろ当然のことだったといえるのではないだろうか。

 余談になるが、ジョンの最後のTV出演は、1975年4月25日に放送されたトム・スナイダーが司会を務め、毎回、超有名人をゲストに迎えてじっくりとインタビューする深夜の人気トークショー番組「The Tomorrow Show」だった。そして、同番組にアイン・ランドが登場したのが1979年7月12日。当時、ニューヨーク滞在中に、たまたまこの番組をみたSF評論家でラッシュ・ファンの鏡明氏は、ランドの紹介テロップに“Philosopher”とあったことから、そのときはじめて彼女がただの小説家ではなく哲学者でもあることを知って驚いたという。

 この番組の大ファンだったジョンもまた、ランドが出演したこの回を(ショーンを寝かしつけた後で)ダコタハウスの居間で見ていたとしたら、同時代人として、また同じニューヨーク在住の超有名人として、彼女の語る言葉に対し、芸術家特有の「生命感覚」註2で敏感に反応したかもしれない。『PLAYBOY INTERVIEW』における生前最後のジョンの言葉は、人をついそんな妄想にかきたてさせるほどに、誠実で正直な言葉による鋭い洞察と独自の思想にあふれていた。

〔参考〕The Best Things in Life Are Free? (Spotifyプレイリスト)

※なお、本文中随所に引用した『肩をすくめるアトラス』の「マネー・スピーチ」は、当サイトに全文が公開されているので、そちらも参照されたい。

(註1)心理認識論 Psycho-Epistemology
 心理学(Psychology)と認識論(Epistemology)を結合させた造語であり、「人間の認識形態を統合し、意識を統一し、現実の把握を明確にするプロセス」の意味で、アイン・ランドが頻繁に使用する哲学的用語。ランド自身は、「意識と潜在意識の自動機能との相互作用からみた人間の認識プロセスの研究」と定義している。ランドによれば、人間の意識は、経験間のつながりを特定した上で、潜在意識が接続を統合し、それらを自動化するのだという。たとえば、歩くスキルは、何度も失敗した後、筋肉の動きを制御する無数の接続を自動化することによって習得される。一度歩くことを学ぶと、子供は姿勢、バランス、歩幅などの問題を意識する必要がなくなり、歩くことを決定するだけで、統合された合計が制御されるが、人間の潜在意識のプログラミングもまた、その認知プロセスがどれほど効率的か、または不完全に機能するかによって結果が大きく左右されるとする。(詳しくは、『ロマン主義宣言』 The Romantic Manifesto: A Philosophy of Literature; Revised Edition, 1971. Signet Publishing、第一章「芸術と心理認識論」を参照のこと。)

(註2)生命感覚 Sense-of-Life
 心理認識論とならんで、感情の抽象化のプロセスにおける心理現象を指す、アイン・ランドが頻繁に使用する特徴的な用語のひとつ。ランドは、「生命感覚とは、形而上学的先入観に等しいものであり、感情的に、意識下で統合された人間と世界に対する鑑定評価」であると定義づけている。本記事中にも引用した『肩をすくめるアトラス』におけるジョン・ゴールトの台詞に、「感情は現実への反応、人の基準がくだす見積もりである」とあるように、理由なくして人間の「感情」が生成されることはあり得ず、人は、感覚的に認知した物事に応じて、その人間固有の認知機能が、それらの物事を分類し統合するプロセスにおいて経験上のあらゆる物事を関連づけ、即時的に評価することによって「感情」が生成されるという。(詳しくは、『ロマン主義宣言』、第二章「哲学と生命感覚」および第三章「芸術と生命感覚」を参照のこと。)

To the memory of Miss Yoshiko Koizumi