SHARE

Twitter

Facebook

  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • YouTubeYouTube

BLOG

2020.02.07

「誰のための哲学か」を読む会

Category : 思想
Author : 脇坂あゆみ

今日は、今年はじめての月例ミーティングを行いました。

会員なら誰でも無料で参加できる勉強会です。

 

極寒の二月、隅田川沿いの明石町の区民館も寒かったですが

四人のメンバーが集まり、タイトルのランドのエッセイを参照しながら

なぜ改めて「哲学」なのか、熱くディスカッションしました。

この講義は、1974年にウェストポイントの士官学校で行われたものですが

哲学の指導官ヘルマン・アイビーの部下のアイデアで実現したもの。

 

アイビー自身はベトナムで戦い、ランド作品にも強く共感していたものの

「士官候補生たちはaction oriented(頭で考えるよりまず行動)なタイプが多く

哲学なんて自分の人生には関係ないと考えがち」と伝えたのですが、

この演説は、そうした行動派の軍人はじめ市井の人々へのメッセージでもあります。

地に足をつけて、ほかの誰でもない自分の人生を生きるためにこそ哲学があると。

 

内容は、本文を読んでいただくのが一番いいのですが。

哲学なんて、抽象的すぎるし、小難しいし、自分には関係ないと思いがち。

でも意識的に、体系的に哲学―存在のありかたと生きる目的―を学ばなければ

私たちは幾多の哲学者はじめあらゆる他人の雑多な思想をランダムにとりいれ

「潜在意識を偶然にプログラムされて」さまようことになる。

 

さて、1974年といえば冷戦さなか、ベトナム戦争の終盤。

世界最強のアメリカ軍とはいえ、他国ばかりか国内でも批判にさらされ、

組織としても、そこに属する個々の職業人としても様々に葛藤があったはず。

 

そんな軍人たちに、目の前の戦いに忙しいあなたがたこそ、いますぐ敵の哲学を知り、

自らの哲学基盤を確立することが生死に関わる問題だとランドは説いているのです。

 

ランドのこの講義は、宇宙飛行士の例え話から、一般論として、

なんのために哲学を学ぶのかを説くのですが、最後に付け加えています。

「私は、単なる愛国者の決まり文句として出なく、形而上学的、認識論的、

倫理学的、政治学的、そして美学的に、アメリカ合衆国は建国の原則において

史上で最も偉大で高貴な唯一の道徳的国家であると申しあげることができます」

 

この演説は、ランドがアメリカという国とその軍隊に与えた

Moral Sanction (道徳的承認)だったのかもしれませんね。

 

ミーティングでは、意識しなければ何も考えずに受け入れてしまう

いまの時代の「思想」ってたとえば? という問題提起をしました。

 

これはピーター・ティールがいつも言っている、「みんながあたりまえと

思っているけれど、そうではないかもしれないことってなんだろう?」みたいな

ことですが、「常識なんて流行ですから」「他人は他人」が基本のリバタリアンの

メンバーには、常識をうたがうことはあたりまえのようでした(笑)

 

ちなみに、、

参加者のうち日本人で「哲学」を体系的に学習した人はいませんでした。

 

「そういえば高校の『倫理』って暗記科目だったよね」

 

アメリカ人の参加者から「『儒教』はどうなの?」という質問がありましたが

あれは考えるプロセスではなくて、価値観・答えだよね、という回答。

 

そういえば、欧米人のビジネスパーソンの基本にギリシャ哲学がある気がしていて。

私も改めてプラトン(←ランドは嫌い)を読み直したいと思った夜でした。

 

次回はメンバーの内藤明宏さんが「中国の情報統制」について解説してくださいます。

https://aynrandjapan.org/topics/657/

奮ってご参加ください!