2019.04.20
おときた駿元都議と「あたらしい党」
明日は統一地方選挙。
「あたらしい党」の音喜多駿元都議が北区の区長選に出馬して厳しい情勢とか。
ブロガー議員として舛添知事の時代から数年で一気に知名度を上げた音喜多氏。都民ファースト旋風のときはテレビ出演も多かったから発信力はピカイチとわかる。公約といっても218の政策提言って、何かのマニア!?
一方で、彼の素顔や政治信条は、案外、知られていないように思う。
音喜多駿は、若くて未経験かもしれないけれど、礼儀正しく情に厚い熱血漢。ということを、彼が政治家になる前から私は知っている。職場が同じだったので。
そこは半蔵門の古いビルのなかの小さなブランドの四十人ばかりのオフィスだったのだけれど、「おはようございまーす」「いってきまーす」と大きな声で出入りしていたのは彼だけでした。
だからなんだという話かもしれないけど、答える人もなく、ほかに大きな声で挨拶する人もいない女性ばかりの、しーんとして香水のかおりだけが強いオフィスでめげずに一人でそれを続けていた彼を、私は「なんだかメンタル強い人」と認識した。
年月が経ち、多少は雑談もするようになったころ、東日本大震災。危機管理室が設けられ、皆が自宅待機を命じられた。
私たちのブランドは、仙台に1店舗あっただけなのだけど会社の方針も決まらず、日本中が右往左往していたなか、とりあえず仙台担当のレップの自宅にかけつけた。私は、地元の仙台と連絡もつかないレップが心配で文字通り駆けつけただけだったが、オートバイで軽やかに現れた彼は、丁寧に筆で表書きのされたお見舞いを差し出した。かなりの金額だったと後で知った。あの震災直後の爽やかさは、ちょっと感動的でした。
数ヶ月もすると、私は再び日常に忙殺されており、一方で、音喜多さんは仕事の傍ら、被災地の子供達にカステラを焼くという「ぐりとぐら」のボランティアを続けていた。
フットワークが軽いというか、エネルギーレベルの高い人なのである。
政治については、ランチのときだったか「みんなの党」っていいねという話をしたのだけど、いつのまにか、東京の支部で後援会やイベントを仕切っていたりした。これどうぞと貸してもらった本は堺屋太一氏の『大阪都構想』。橋下徹市長の全盛期だった。
とはいえ、そんなやりとりをしていたのが奇跡のようなノンポリの女子校的な企業文化だったから、政治意識も高く、大きな仕事や使命に飢えていた彼には物足りなかったかもしれない。いちど私のオフィスに来て「派閥作りましょうよ」と言われたのは笑い話。なんの派閥だ!?
彼は、「内閣総理大臣になる」とか、大丈夫? といわれるようなことを公言してしまっているので政治的野心しかない日和見主義者のようにみられることもあるけれど、あのころと政治信条が変わっていないなら、かれはいま日本に存在しない「財政保守・文化リベラル」であり、彼がたちあげた「あたらしい党」は、そういう政党になるはず。
今回の選挙の結果はともかくとして、いろんな無茶なチャレンジを通じて、政治家音喜多駿が発信を続け、派閥というよりは、財政保守で文化リベラル(そう、リバタリアン寄り)な政党と、なによりそんな政治文化を作ってくれるとよいなあと思う。
いまとなっては笑い話、もうひとつ。
同じ職場のとき、私はそのブランドのコントローラーだったので、彼が個人的に書いていたブログの内容について、ブランドのイメージを毀損するので削除してください、と言ったことがある。いまだに、「あれはめちゃムカついた」といわれる事件。
そのブログの内容とは、社員がランチをする休憩室の冷蔵庫を、彼が月一くらいで点検、クリーニングする、なぜならお姉様方は飲みかけの牛乳を放置して、持ち主不明の牛乳が腐っていくから、というものでした。
今思えば、彼は誰にも頼まれず、地味に冷蔵庫の掃除をしていたんだなあと、褒めてあげたい。そのときは、コントローラーとしての気負いもあったのか、注意した自分の行為も謎ですが。
もちろん職場では、アイン・ランドの話などしませんでしたが、ずーっとあとになって、「ランドの翻訳者ってもしや?」と言ってきたことがあり驚いた。最近、仕事の合間に『肩をすくめるアトラス』を読んでくれたようだけど、たしか一週間くらいで読み終えていた。多読の人でもあります。
とりとめのない思い出話になってしまいましたが、北区在住の有権者で、いま迷っているどなたかの参考になれば幸いです。
※ おときた候補は日本アイン・ランド協会とは関係ありません。念のため。