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BLOG

2021.10.17

裁きと贖罪──クリント・イーストウッド作品における「道徳的判定」(前編)

Category : アート
Author : 宮﨑 哲弥

 クリント・イーストウッドが監督・主演を務める最新作『クライ・マッチョ』がもうすぐ公開される(と思っていたら、日本公開は2022年1月14日になるとか)

 
 今年で91歳になるイーストウッドだが、前作『リチャード・ジュエル』(2019)においても、入念に組み立てられたプロットに従って、ただひたすらストーリーを推進するという「目的」(パーパス)のみに奉仕するショットをシンプルに積み重ねるだけで、最終的にその結末とテーマを、狙いを定めた「目標」(ゴール)にピタリと着地させる、その至芸ともいえる演出力は、いささかの衰えも感じさせず、それどころか、長年の経験によって一層研ぎ澄まされ、より洗練された感すらあった。一切のムダを削ぎ落し、最大限に効率的かつ“合理的な”映画作りを実践している点において、もはやイーストウッドの右に出る映画作家はいないのではないか。

 「わたしはシンプルなものが好きだ──わたし自身はいうまでもなく、見かけよりも複雑な人間だが」と語るイーストウッドは、いっぽうで「ストーリーがすべてなんだ。本だろうと脚本だろうと、ストーリーがすべてを動かしていく。でもそこに材料がなかったら──キャラクターや、障害物や、ドラマに生気を与える葛藤がなかったら、そんなものはストーリーとはいえない。(中略)銃さえ出せば、ある種の観客を喜ばせることはできるだろう。だがプロットにおもしろみがなくて、登場人物にも興味が持てないような映画は、はっきりいってどうでもいい」と断言し、プロットを重視せず、葛藤もなく、“意志”をもったキャラクターが登場しない“自然主義的な”映画を容赦なく切り捨てる。

 同様に、卓越したストーリーテラーでもあるアイン・ランドは、あらゆる「モダンアート」を完全に無価値なガラクタであると「道徳的に判定」する挑発的な芸術論集『ロマン主義宣言』(1969、増補改訂版1971)において、「なぜ映画監督は芸術家とみなされるべきなのかと問われれば、その答えは、映画が具象化する抽象的な意味を提供するストーリーにあります。ストーリーがなければ、映画監督はただのうぬぼれた写真家にすぎません」と言い切り、「プロットは、目標(ゴール)に向かう行動を脚色したものであるがゆえに、それは葛藤──あるキャラクターの内なる葛藤であったり、あるいは二人以上のキャラクター間の目標と価値観の衝突──に基づくものでなければなりません。ゴールは、自動的に達成されるものではないがゆえに、目的ある追求の脚色にあたっては障害物を含める必要があり、衝突や行動としての闘争を伴わなければなりません」と述べている。

 それはさておき、この映画の主人公のリチャード・ジュエルは、FBIのずさんなプロファイリング捜査による誤認識によって、身に覚えのない罪を着せられ社会から糾弾されることになるが、イーストウッド作品には、このように「裁く者」と「裁かれる者」の両義的な関係性を描いたものが多い。こうした両義性は、イーストウッドが多大な影響を受けたという名匠ウィリアム・A・ウェルマン監督による異色西部劇『牛泥棒』(1943)のテーマでもあったが、そもそもイーストウッドには、みずからが対峙する相手に道徳的な裁きを下す「制裁者」としてのイメージが常につきまとう。
 
 言うまでもなく「制裁者」としてのイーストウッドのイメージを決定づけたのは、最大の当たり役となった『ダーティハリー』(1971)の冒頭における、銀行強盗一味を瞬く間に「制裁」し、倒れた黒人の主犯に愛用のマグナム44を突き付けるシーンだろう。再びライフルを手に取り反撃しようとする凶悪犯に向かって、「おおっと……考えはわかってるよ。俺がもう6発撃ったか、まだ5発か。実を言うと、こちらもつい夢中になって忘れちまったんだ。でもコイツはマグナム44っていって、世界一強力な拳銃なんだ。お前さんのドタマなんて一発で吹っ飛ぶぜ。楽にあの世まで行けるんだ。運が良ければな……さあ、どうする(’Do I feel lucky?’ Well, do ya, punk?)」(山田康夫版吹替より)と「選択」を迫るシーンは、『ダーティハリー4』(1983)の「Go ahead, make my day」とならんで、まさに一世一代の決め台詞としてファンの脳裏に焼き付いている。

 
 今回の定例会で取り上げた三本の監督作は、いずれも「制裁者」と「被制裁者」の相克がとりわけ克明に描かれており、『荒野のストレンジャー』(1972)では、イーストウッド演じる謎の流れ者が、かつて町の保安官(演じているのは、数々のイーストウッド作品でスタントコーディネーターを務め、後にイーストウッド主演作の監督になるバディ・ヴァン・ホーン(1928-2021))が三人組の凶悪犯になぶり殺しにされる「悪」を承認(サンクション)した住民たちに対し、かれらの卑しさを暴くとともに、犯した罪を容赦なく制裁(サンクション)し、住民から爪弾きにされている小人と先住民だけを助ける。『ダーティハリー4』(1983)では、ソンドラ・ロック演じる女性画家がかつて自分と妹を輪姦した男たちを次々と“処刑”していくが、同様にハリーは、自分の身代わりに殺された黒人の相棒(ちなみに、この映画でハリーの相棒となるのは、一作目でハリーにマグナムを付きつけられた銀行強盗役の黒人俳優である。)の敵を討つという“個人的な”復讐心によって彼らを“処刑”し、映画のラストでは被害者の人権を訴える女性画家を逮捕せずに逃してやる。そこにある倫理は、社会通念上の正義ではない。これらイーストウッド作品の「裁き手」たちは、「個人的で、手っ取り早く、感情的な裁きを合法的な裁きに優るものと位置づけている。合法的な裁きは冷酷なモンスターで、被害者も犯人もおかまいなしに粉々にするからだ」。(マイケル・ヘンリー・ウィルソン『孤高の騎士 クリント・イーストウッド』石原陽一郎訳、フィルムアート社、2008年)

 
 しかし、初期の作品では物理的な暴力行使を正当化する“倫理”とともに、明確に描かれていた「善」と「悪」の対立は、『許されざる者』(1992)あたりから変化しはじめ、その答えを明らかにしないまま、イーストウッドは、映画のなかで起きてしまった出来事をただ“客観的に”提示するだけになっていく。「答えは観客が知っている」というのはイーストウッドの有名な発言だが、登場人物がなした行為に対し、善悪の判断を下すのは今やその映画を観る者一人一人の役割なのである。イーストウッドはこうも言っている──「わたしは、ひとつの問いをつきつけるような映画が好きだ。観客に問いかけ、しかも答えは与えないような映画だ」。近年のイーストウッド作品における特定のシーンの意味や映画の結末は、個々の観客の「道徳的判定」に委ねられているといってもよいだろう。

 
 「他人に道徳(倫理)的判定を下す」こと、もしくはそれを回避することの意味について、アイン・ランドは、あるエッセイの中で、次のように述べている。

 道徳的不可知論の教訓ほど、文化や人格を徹底的に腐敗させ、崩壊させるものはありません。その考え方とは、他人に道徳的な判定を下すべからず、何事にも道徳的に寛容であれ、善悪を見極めざることこそ善なりというものです。
 そんな教訓によって誰が得をして、誰が損をするかは歴然としています。人の美徳を褒め称えることも、悪徳をめ立てすることも、一様に差し控えるというならば、あなたが人に与えているのは正義でも平等な扱いでもありません。その中立的な態度が、事実上、善人にも悪人にも何も期待してくれるなと表明するとき──あなたは誰を裏切り、誰を励ましているのでしょうか。
(アイン・ランド「如何にして非合理的な社会で合理的な人生を送るか」、『自己本位(セルフィシュネス)の美徳』所収、1964年)(拙訳・以下同)

 
 ただし、人が他人に「道徳的判定」を下すとき、それはあくまで「合理的」な判定でなければならないとし、次のように警告する。

 非道徳的なシニシズム、主観主義、暴力集団(フーリガン)による狼藉の支配下にある今日、人々は、自分がどんな非合理的な判決を下したとしても、なんら影響を受けないと思いこんでいるかもしれません。しかし、実際には、人はみずから下した判決によって裁かれるのです。責めたてたり褒めたたえたりしたものは客観的な現実のなかに存在し、第三者からの独自の評価に曝されます。何かを非難したり称讃したりするとき、赤裸々になるのは、その人自身の道徳的品性と基準なのです。アメリカを非難し、ソビエト・ロシアを称揚するとき──あるいはビジネスマンを糾弾し、不良少年を擁護するとき──あるいは偉大な芸術作品を罵倒し、がらくたを讃美するとき──人はみずからの魂の本性を告白しているのです。(中略)判定を下すとは、抽象的な原則や基準に照らし合わせて、ある具体的な物事を評価することです。それは簡単なことではありません。フィーリングや“本能”もしくは勘に頼って自動的に遂行できる仕事ではないのです。それは、もっとも正確で、もっとも厳密で、もっとも冷徹に客観的であるとともに、合理的な思考プロセスを要求します。抽象的な道徳原則を理解するのは容易ですが、それをある状況に適用するのは非常に難しく、とりわけ、他人の道徳性に関わる場合はなおさらです。称讃であれ非難であれ、人が道徳的な判定を下す際には、「なぜ?」に答えるための、そして、みずからの立場を証明するための用意をしておかねばなりません──自分自身に対しても、合理的な尋問者に対しても。

 
 さらに、合理的な人間がもつべき「道徳的価値基準」と「道徳的原則」について、聖書(マタイ伝)の“教訓”に真っ向から異議を唱え、次のように断言する。

 人は選択しなければならないという事実から逃れることはできません。選択しなければならない以上、道徳的価値基準から逃れることはできません。道徳的価値基準が問題になっている以上、道徳的中立はあり得ません。拷問者を非難しないということは、犠牲者に対する拷問と殺人の共犯者になるということです。

 この問題において採用すべき道徳的原則は、次のとおりです──「すべからく裁くべし。然して裁かるゝことを心すべし」(”Judge, and be prepared to be judged.”)。

 
 ランド哲学においては、「すべてのことがらには二つの側面があり、一方は正しく、もう一方は誤りだが、中間は常に悪である」(『肩をすくめるアトラス』)とされるがゆえに、合理的な人間は、常に「白」か「黒」かの選択を迫られることになる。

 道徳的中立の反対は、自分の気分や暗記したスローガンやその場しのぎの判断に合わない考えや行動や人を、盲目的に、恣意的に、独善的に非難することではありません。やみくもな容認とやみくもな非難は、相反するものではなく、同じ逃避の二つのバリエーションです。「誰もが白である」、あるいは「誰もが黒である」、あるいは「誰もが白でも黒でもなく灰色である」と宣言することは、道徳的な判定ではなく、その責任からの逃避にほかなりません。

 
 そして、「沈黙が客観的に悪への同意や承認を意味すると捉えられる状況では、声を上げねばならない」と強調し、人が「非合理的な社会で合理的に生きる」ための“個人的な価値観”を死守することの道徳的重要性を次のように説く。

 議論しても無駄な非合理的な人を相手にするときは、「あなたには同意しません」と言うだけで、道徳的承認を含意していることを否定するのに十分です。よりまともな人々を相手にするときは、みずからの意見を完全に述べることが道徳的に必要とされる場合もあります。しかし、いかなる場合や状況においても、みずからの価値観が攻撃されたり糾弾されたりしながら、口をつぐんでいてはなりません。(前掲書)

 
 道徳的な判定を下すことは非常に大きな責任を伴うため、他人を裁く以上は、自分が裁かれることを覚悟しなければならないというランドの言葉は、イーストウッド作品がもつ両義性を浮き彫りにしているようでもある。「イーストウッドの映画においては、裁きにつねに疑問が投げかけられる。裁きというものはいつなんどき逆転し、裁きとは反対のもの──あいまいさや居心地の悪さ、不完全さや盲目というもの──に変わってしまうかもしれない」。(前掲書)

 
 さて、数あるイーストウッド作品の中でも、もっとも重たい「道徳的判定」が下されるのが、『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)だろう。その製作者、アルバート・S・ラディといえば、あの『ゴッドファーザー』を製作したハリウッドきっての伝説的な大物プロデューサーであり、最新作『クライ・マッチョ』にも製作者の一人として名を連ねているイーストウッドとも深い関りのある人物。どの映画会社も、社会的・宗教的倫理規範に抵触するその内容の過激さゆえに二の足を踏んでいた『ミリオンダラー・ベイビー』の製作にゴーサインを出し、結果的に同作品をアカデミー作品賞・監督賞・主演女優賞・助演男優賞の獲得へと導いたのも、ラディの功績によるところが大きい。

 
 じつは、ラディは、若いころからアイン・ランドの大ファンであり、とりわけ『肩をすくめるアトラス』の映画化に、長年に亘り執念を燃やしてきたことでも知られている(ラディ製作による映画化は未だ実現していないが、2021年現在、彼が『肩をすくめるアトラス』の映画化権を所有しているはず)。そもそも『ゴッドファーザー』がアカデミー作品賞を受賞した1973年の式典で、ラディにオスカー像を渡したのが他ならぬイーストウッドであったことを踏まえると、二人は、五十年近くに及ぶ信頼関係で育まれた強い絆で結ばれていると考えてよさそうだ(しかも二人とも1930年生まれ)

 

 
 『肩をすくめるアトラス』の映画化が企画され、豪華キャストの競演による超大作として構想されていたものの、最終的に頓挫した経緯については、ラディ自身が率直な言葉でその裏事情を語っているインタビューが『100人が語るアイン・ランドの口述史』(未邦訳)という本に掲載されている。ラディの回想によれば、ランド本人と直接会ってラディが考えているキャスティングと作品のイメージを伝えたところ、彼女もそれに同意し、1972年5月10日に、高級レストラン「21クラブ」で、ランドも同席するかたちで記者発表が行われた。しかし、ランドが脚本の最終承認権をぜったいに譲らなかったことによって結果的に映画化を断念せざるを得なかったという。もし映画化されていれば、主人公のダグニー・タッガート役にフェイ・ダナウェイ、ハンク・リアーデン役にクリント・イーストウッド、フランシスコ・ダンコニア役にアラン・ドロン、そして、ジョン・ゴールト役にロバート・レッドフォードを起用し、2時間半から3時間の超大作になる予定だったというから、映画ファンにとってはまさに夢のような企画が実現するはずだった。

 当時『ゴッドファーザー』の世界的大ヒットで、飛ぶ鳥を落とす勢いにあった辣腕プロデューサーの発案により、1970年代のハリウッドで『肩をすくめるアトラス』の映画化プロジェクトがひそかに進行していたこと自体、これまでほとんど知られていない驚きの事実だが、その企画において、イーストウッドが原作者ランドの強い希望で『アトラス』に登場する独立独行の鉄鋼王「ハンク・リアーデン」役の第一候補に挙がっていたことは、それ以上に驚きの事実といえるだろう。もしそれが本当に実現していたら、「ハリー・キャラハン」以上のハマリ役になったかもしれない。(個人的には、当時イーストウッドの最大のライバルだったスティーヴ・マックイーン(彼も1930年生まれ)だったら、それこそ一世一代のハマリ役になったにちがいないという気もする)

 
 イーストウッドとランドをめぐる因縁は、これだけにとどまらない。『ダーティハリー2』(1973)で脚本を担当したマイケル・チミノ(1939–2016)は、イーストウッドにその才能を見染められ、イーストウッド主演の『サンダーボルト』(1974)で監督デビューを果たし、その後、アカデミー作品賞を受賞した『ディア・ハンター』(1978)や『天国の門』(1980)において、その並外れた視覚的感性を余すところなく発揮したが、彼の悲願のプロジェクトは、原作者であるランド自らが脚本を担当した『摩天楼』(1949)をイーストウッド主演(つまり、「ハワード・ローク」をイーストウッドが演じる)でリメイクすることだった。(チミノの「悲願」は、その後、オリヴァー・ストーンを経て、現在はザック・スナイダーが受け継いでいるらしいが……。)

 
 また、『ダーティハリー3』(1976)の脚本家であるスターリング・シリファント(1918–1996)は、ランドのすべての著作を読み込んでいるほどの熱烈なランド崇拝者であり、とりわけ『肩をすくめるアトラス』を自らの〝バイブル〟とみなし、その壮大なストーリーと緊密な構成を溺愛していたとされる。シリファントは、ラディによる映画化が頓挫した後、70年代後半に別のプロデューサーが映画化権を正式に取得し、ランド本人の協力の下で、全8話のTVシリーズとしてNBCでドラマ化される企画(このときもイーストウッドがリアーデンを演じることをランドは強く希望したという)が進行していた際に、シリファントがアカデミー脚本賞を受賞した、南部のレイシズムをテーマにした犯罪ドラマ『夜の大捜査線』(1967)を高く評価していたランドによって正式に脚本家として採用され、最晩年のランドと頻繁にやりとりしながら『アトラス』の翻案を手がけたという知られざる実績をもつ(このプロジェクトもNBCの経営者が変ったことによって頓挫してしまうのだが)。このときのプロデューサーだったマイケル・ジャフェによれば、「彼(シリファント)はその機会に畏敬の念を抱いていました。彼はとても彼女(ランド)を崇拝していて、彼女が言うことなら何でもやったでしょう」(前掲書のインタビューより)ということだが、シリファントが脚本を手がけた、70年代パニック映画の金字塔『タワーリング・インフェルノ』(1974)に、きわめて濃厚な「ランド風味」が漂っているのは、けっして偶然ではなかったのである。

 
 さて、60年代初頭の『ローハイド』時代からイーストウッドの才能をいち早く見抜き、その(かつてのゲイリー・クーパーのような)シンプルで飾り気のない演技を高く評価していたランドとは対照的に、ミュージカル映画『ペンチャー・ワゴン』(1969)に出ていた若き日のイーストウッドの演技について「まるで面白みのない抑制ぶりは、芸はおろか演技すら出し惜しみしているようだ」と酷評したのは、その歯に衣着せぬ辛辣な批評で絶大な影響力を誇ったリベラル派の映画評論家ポーリン・ケイル(1919‐2001)だった。

 ケイルは、『ダーティハリー』(1971)を「人種差別的」な映画とみなし、激しく攻撃した。公開当時、ケイルは「ニューヨーカー」誌にこう書いた──「『ダーティハリー』はどう見ても単なるジャンル映画にすぎないが、ほかならぬこのジャンルこそ、昔からのファッショ的素質を備えており、それがついに表面に出たのである。(……)犯罪は困窮、苦難、精神異常、社会の不公平からひき起こされるものであり、それゆえに『ダーティハリー』は不道徳な映画である」、「ハリーのダーティさは、悪はなんとかしなければならないという認識にぴったりこびりついた“道徳の汚れ”にほかならない」。ケイル女史によれば、『ダーティハリー』は、「映画の核に自警団精神そのままの反動的価値観が盛り込まれた」「右翼ファンタジー」であり、「リベラルな価値観に対する著しくひたむきな攻撃」であり、「主人公はファシスト以外の何者でもない」というのである。

 当時の典型的な左翼知識人であり、「利他主義」的な倫理観の持主だったケイルは、後年になってもイーストウッドに対する自身の見解を決して改めようとはせず、長年にわたってイーストウッドの作品および本人を嘲弄するような記事(「個人主義」的な価値観に対する著しくひたむきな攻撃?)を執拗に発表し続けた。(そのことが、アメリカ本国におけるイーストウッド評価を遅らせる要因のひとつとなったともいわれている)

 ケイル女史の敵意と偏見に満ちたうんざりするような誹謗中傷に対し、イーストウッドは次のように語っている──「ぼくにいわせれば、彼女は頭がどうかしている。あの映画は暴力の味方をする男の話ではなく、暴力を許す社会が理解できない男の話だ。『ダーティハリー』が出たのは、いろんな映画がしきりと被疑者の権利を扱っていた時期で、そこへ突然、犠牲者の権利や救いを気にかける人物があらわれた。だからだれかさん(ケイル)はこの男をファシスト呼ばわりした。(中略)彼はいつもきわめて凶悪な犯罪者を捕まえなければならない立場におかれている。人殺しであれだれであれ、彼が追う相手はそこらのスリとは違うんだ。『ダーティハリー』のときは異常性格の殺人鬼だった。そんな人間をどうすれば無力にできる? それ以上の犠牲者が出ないよう、町からとり除きたい、それがこの男の気持ちなんだ。それにファシズムでも何でも好きな名をつけるのは勝手だが、そんなのは重要なことじゃない。(中略)法を超えた高邁なモラル(註:ランド的に言えば、メタフィジカルな道徳)に耳をかたむけ、法が間違っていると感じて、それと闘うか、解決しようとする。右翼も左翼もそんな類のものとはいっさい関係ない」。(イアン・ジョンストン、金丸美南子訳、『クリント・イーストウッド 名前のない男の物語』、早川書房、1990年)

 上記に引用したケイル女史の意見が体現しているように、左翼知識人が声高に主張するのは、常に利他主義者の「道徳」の声にほかならず──ランドの言葉を借りるなら──かれらが「罪なき犠牲者の血まみれの死体から無関心に目をそらしながら、いかなる罪にも、残虐行為の加害者にも、即座に同情して反応するとき」──「道徳的判断を下す者を唸るような憎しみをもって見返したり、悪と戦う決意こそが悪だと叫んだりするとき」──その道徳がもつ紛うかたなき“非道徳性”が「ついに表面に出た」ということなのだろう。

 ケイルはその後も、『ダーティハリー4』(1983)についても、「監督(イーストウッド)が冗談の仲間入りをしていないことを鈍重なテンポが物語っていなければ、パロディとまちがえられるかもしれない」、「イーストウッドの映画作りを初歩的と呼ぶのは、婉曲表現に過ぎるだろうか」といった、文字通り「婉曲表現」すぎて、何を言っているのかよくわからない「酷評」を書いていたが、『タイトロープ』(1984)にいたっては、「これはお粗末な商業映画であり」「洗練された映画作りの対極にある」が、「イーストウッドがほかのゴミ映画の作り手とちがうのは、嫌悪というものを考慮に入れることである」、「芸術味やスタイルをそこに望んでも無駄だし、強烈な感情も望み薄。どうやら観客は控えめなイーストウッドを好むらしい。いや、はっきりいえば、でくのぼうの彼を」とコキおろした。
 さすがにここまでいわれると、「控えめなイーストウッド」も「口をつぐんでいるわけにはいかない」と思ったのか、ついに、『ダーティハリー5』(1988)において、明らかにケイルをモデルにした鼻持ちならない言説を弄する女性映画評論家を登場させ、劇中で犯人役に惨殺させてしまう(犯人は、彼女が酷評したホラー映画監督の狂信的ファンという設定なので、観客も「まあ当然だよな」と受けとめ、いささかも同情しない)のだが、フィクションの上とはいえ、まさか自分が裁かれるとは思いもよらなかったであろうケイル女史が、その数年後に認知症の進行を伴う難病を発症して引退を余儀なくされた事実には、いささかの同情を禁じ得ないといったら、婉曲表現に過ぎるだろうか。(ちなみにケイル女史は、映画『摩天楼』についても、「アイン・ランドは、自分の小説をもとに脚本を書き、主人公の理念に忠実に、その──誇大妄想狂的なコミックブックの──台詞を変更することを許さなかった」と“酷評”することによって、赤裸々に「みずからの魂の本性を告白」していたが、同様の症例は日本でもよくみられる。)

 
 最後にふたたび「如何にして非合理的な社会の中で合理的に生きるか」から、アイン・ランドの言葉を引用する──

 道徳的価値観とは人間の行動の原動力となるものです。道徳的な判定を下すことで、人は自身の見解の透明性と、選択した進路の合理性を守ることができます。自分が相手にしているのは人間の認識の誤りだと考えるか、あるいは人間の邪悪さだと考えるかどうかではちがいが生じます。

 いかに多くの人々が、自分たちが相手にしている者──つまり「愛する人」や、友人や、仕事仲間や、政治的支配者たちが──単に過ちを犯しているだけでなく、“悪”であると気づくことを恐れるあまり、言い逃れや自己正当化によって、みずからのを盲目の昏睡状態へと追い込んでいるかをよく見てください。悪の存在を認めようとしないこの恐怖心が、まさに悪そのものを承認し、助長し、広めようとしていることをよく見てください。

 もしも人々が、卑劣な嘘つきは「良かれと思ってやっている」だの──物乞いをする浮浪者は「しょうがない」だの──非行少年は「愛を必要としている」だの──犯罪者は「それよりましなことを何も知らないだけ」だの──権力を渇望する政治家は「公共の利益」に対する愛国心に動かされているだの──共産主義者は単なる「農地改革者」にすぎないだのと主張するような、忌まわしい言い逃れに甘んじなければ、過去数十年、あるいは数世紀の歴史はまたちがったものになっていたことでしょう。

 また、道徳的中立性が、悪徳への同情と美徳への反感を募らせることにも注目してください。悪が悪であることの否認に躍起になる者は、善が善であると認めることがいよいよ危険になったと察知します。そういう者にとって美徳をもつ人は、自分の言い逃れをすべて覆す脅威なのです。特に正義の問題が絡んでいるときには、その人がどちら側につくかを迫るからです。「誰もが完全に正しいわけでもなく、まるっきり悪いわけでもない」とか「自分に裁く権利はない」といった常套句が致命的な結果をもたらすのはそのときです。「最低の人間にだって良いところはある」と言い始めた男は、続けてこう言います──「最高の人間にだって悪いところもある」──さらに、「最高の人間に悪いところがないわけがない」──そして、「人生をややこしいものにしているのは最高の人間だ──なんでかれらは黙っていられないのか?──人を裁くなんて、いったい何様のつもりなんだ?」と。

 そして、灰色に曇ったある朝、中年にさしかかったその男は、遠ざかった人生の春に自分が愛したすべての価値観を裏切ってしまったことに突然気づき、どうしてこうなってしまったのかと訝り、その答えから目を背け、自分がもっとも恥ずべき瞬間に感じた恐怖は正しく、けれども価値観なんて所詮、世の中では通用しないのだと慌てて自分に言い聞かせることで、思考をシャットアウトするのです。

 
 常にイーストウッド作品が観客に問いかける、単なる「認識の誤り」と、許されざる「悪」を見極める「道徳的価値基準」の必要性を再認識するという意味において、これ以上適切な言葉はないだろう。「わたしは極左と極右の論客がラジオで罵りあうのを聞くのがいちばんの趣味なんだ!」とうそぶくイーストウッドだが、『クライ・マッチョ』のラストで主人公がつぶやく台詞のとおり「人生は選択の連続」──すなわち「真か偽か──正か誤か、という問いへの解答の不断の選択の連続」(『肩をすくめるアトラス』)なのである。

 
(参考文献)
アイン・ランド『肩をすくめるアトラス 第三部 AはAである』(脇坂あゆみ訳、アトランティス、2015年)
Rand, Ayn. The Romantic Manifesto: A Philosophy of Literature; Revised Edition (Signet Publishing, 1971)
Rand, Ayn. The Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoism (Signet Publishing, 1964)
アイン・ランド『セルフィッシュネス 自分の価値を実現する』(田村洋一監訳、オブジェクティビズム研究会訳、Evolving、2021年)
McConnnell, Scott. 100 Voices An Oral History of Ayn Rand (New American Library, 2010)
イアン・ジョンストン『クリント・イーストウッド 名前のない男の物語』(金丸美南子訳、早川書房、1990年)
マイケル・ヘンリー・ウィルソン編『映画作家が自身を語る 孤高の騎士 クリント・イーストウッド』(石原陽一郎訳、フィルムアート社、2008年)
文藝別冊『クリント・イーストウッド 同時代を生きる英雄(ヒーロー)』(河出書房新社、2014年)
Michael Cimino from Wikipedia, the free encyclopedia (https://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Cimino)
ポーリン・ケイル『映画辛口案内 私の批評に手加減はない』(浅倉久志訳、晶文社、1990年)
Kael, Pauline. 5001 Nights at the Movies (Henry Holt and Company, 1991)

(オマケ)