2021.08.29
台湾の民主化過程振り返り
いわゆる現代に続く台湾問題は、大戦で米国に敗れた日本の引揚げによって生じた空白地帯に、国共内戦で共産党に敗れた国民党勢力(外省人)が流入して軍事独裁政権を敷いたことに始まる。しかし、40年以上に及ぶ苦難の歴史を経て、台湾は民主化を成し遂げ、民主主義を定着させ、「台湾人」というアイデンティティの確立に成功した。現在、台湾は米、中、日のパワーバランスの激変という大きな波に晒されており、今後を占ううえでも、台湾問題の過去と現在を確認することは有意義である。
そこで、今回は、日本でも様々な面で注目を集めている台湾について、民主化の過程をメインに、地政学的・戦略的な位置づけ、少子化・LGBTの動向、原発問題、新型コロナ対策に成功した背景など、多角的に取り上げた。
香港の民主化運動の帰結、ウイグル問題の講義に続き、講師は中国事情に明るい内藤明宏氏。台湾は同氏の長年の研究テーマであり、同氏の修士論文も台湾をテーマにしたものである。同氏は台湾出身のカナダ人教授の元で比較政治学を学び、エリアスタディとして台湾研究をしていた。台湾人民主運動家らが、戦後の経済的苦境の中で魯肉飯(ルーローハン)を食べながら夢を追っていたという昔語りを聞き、自身も中国滞在中に苦労したときは魯肉飯(ルーローハン)を食べ、奮起したという。
台湾の民主化過程:
1945-1950年代
「犬が去って豚が来た」という言葉が端的に表すとおり、台湾の本省人にとって、日本の引き揚げと国民党による支配の開始は、一方的な略奪と「白色テロ」と呼ばれる虐殺と抑圧の始まりであった。50年に及ぶ日本統治の結果、製糖業を中心とする産業の発展、工場等の社会資本の蓄積、ダム等のインフラ整備、高い水準の保健衛生・教育・文化の定着など、台湾は飛躍的な発展を遂げた。これに対し、大陸から流れてきた外省人の民度は低く、水道を知らないために蛇口を壁に刺して栓を捻れば水が出ると信じて蛇口を買い漁った者が多くいた程であった。うるさい「犬」の支配下とはいえ、高い生活・文化水準を享受していた本省人にとって、腐敗しきった国民党/外省人が「豚」に見えたであろうことは想像に難くない。
1960-1970年代:
その後台湾は、蒋介石の死、党外政治家の参政活動、キリスト教長老教会による民主化要求声明、軍・警察・官僚組織の本省人化といった内的変化と、米中国交正常化と台湾との断交、日本や米国における台湾人留学生を中心とした民主化運動の広がりといった外的変化を経て、民主化の発芽期を迎える。
この時期に、啓蒙雑誌『台湾青年』の発刊等を通じた台湾独立・民主化運動に中心メンバーの一人として参画し、蒋介石政権によって軟禁されていた知識人のスウェーデン亡命作戦まで実行した日本人・宗像隆幸氏のことは、日本でより広く認知・評価されるべきであろう。
同氏が運動に参画し半生を捧げるに至ったきっかけは、もともと台湾との繋がりがあったという訳ではなく、同じ下宿先の台湾人留学生から聞いた戦後台湾の惨状を聞いたことであるという。宗像氏の著書『台湾建国』には、「日本語に翻訳されている古代ギリシア・ローマの本は片端から読んでいる徹底した自由主義者だったので、独裁者に支配されている人民が自由のために闘うのは当然と考えていた。だから私は、自由を勝ち取るためには古代ギリシア人のように命を賭けて闘うべきだと、というようなことを彼に話したにちがいない。そのあと間もなく台湾青年社に参加した許世櫂が、六一年の夏、私に『台湾青年』の編集を手伝ってほしいと言ったとき、私は喜んで手伝うことにした。」と淡々と記述されているが、戦後日本にも、国際的に行動する真のリバタリアンがいたという事実に衝撃を受けた。
1980年代:
1980年代に、台湾の本土化と自由化は加速した。外的要因としては、1982年に米国で結成された台湾公共事務会(FAPA)による米議会への積極的なロビー活動、1984年に発生した江南事件(蒋経国の伝記著者が、サンフランシスコで国民党特務機関により暗殺)を通じて、米政府・議会からの台湾への民主化圧力が強まった。
この時期には、蒋経国も軍事独裁体制の維持は不可能との見通しを持つに至り、総統職の世襲を否定し、1986年の民進党結党を黙認、1987年には38年間に及んだ戒厳令を解除する等、体制の移行を暗黙のうちに容認していた可能性もあると言う。そして、1988年には蒋経国の死に伴い李登輝が総統に就任する。
しかし、自由化と「台湾人」アイデンティティ形成に向けた趨勢を語るうえで、1989年の鄭南榕事件は外せない。鄭南榕は外省籍であるが、雑誌『自由時代』を創刊し「100%言論の自由」と台湾独立を訴え、当局の逮捕を拒否し雑誌社に籠城。同年4月7日に当局の突入直前に焼身自殺を遂げた。この事件は台湾社会に大きな衝撃を与え、外省人と本省人の隔てを取り払い、自由化運動を国民レベルに引き上げたと言える。
1990年代:
就任当初は「ロボット総統」と言われた李登輝が、軍トップであった赫伯村をあえて行政院長という要職に就けて失政の責任を取らせる等、したたかな政治手腕を発揮しながら、国民党内で権力を掌握し、民主化の流れを決定づけていった。
1990年の国是会議開催による民主化ロードマップ、1991年の「動員叛乱時期」終結による国共内戦の終結、政治犯既定の撤廃、万年国会の解散と1992年の立法院選挙、憲法改正を経て1996年には初の総統直接選挙を実現し圧勝を納めた。これにより、台湾の民主化はほぼ達成された。
また、李登輝は、収監されていた民進党主要メンバーに対しても特赦を出し、結果、民進党は立法院選挙で議席を3倍に増やすなど、総統直接選挙制度とともに、後の政権交代を見据えた地ならしをも図っていたと思われる。総統就任から8年間で、独裁体制からの実質的な民主化を平和裏に成し遂げるという偉業は、李登輝の卓越したリーダーシップ無しには成し遂げられなかったであろう。
2000年代~現在:
2000年の総統選で陳水扁が勝利し、平和裏に政権交代が実現したことで、台湾の民主化は完全に達成されたと言える。その後、初めて政権を担った民進党の政権運営能力への失望、対中関係、経済政策をめぐり国民党も勢力を盛り返し、2008年には政権を取り戻している。しかし、2014年の雨傘運動、2016年にピークに達した香港独立運動が弾圧され一国二制度が実質的に崩壊するといった動きも踏まえ、2016年には再び民進党が政権を獲得した。
台湾に残された課題は、完全に形骸化した中華民国の廃棄と台湾共和国の正式建国であるが、中国の飛躍的な経済成長と軍事力の増強を前に、実現には至っていない。
しかし、2018年の国家主席の任期撤廃等による習近平の毛沢東路線の強化、2019年の香港民主化デモの徹底的な弾圧、米中間で激化した貿易摩擦と経済安全保障をめぐるデカップリング、2020年に武漢から世界に拡大したパンデミックと露骨な戦狼外交の展開等を通じ、国際社会は中国の脅威に対する危機感・反発を強めている。一方の台湾は、民主主義の定着、模範的なコロナ初動対応等を通じ、国際社会における存在感を強めている。また、パンデミックによるサプライチェーンの混乱により急激に戦略的重要性を増した半導体の供給において、台湾企業は決定的に重要な位置を占めており、台湾がグローバルな産業サプライチェーンにおいてカギを握る存在であることは疑い得ない事実となった。事実、最近の米台間の協議では、議論はほぼ半導体分野における協力強化に集中し、中国の存在は話題にも上らないことがあると言う。台湾問題は、これまでのような中国問題の従属関数としてではなく、よりグローバルなトピックとして認識されつつあると言えよう。
その意味で、台湾にとって、現在は最後のステップを踏み出す好機であるとも言え、今後の展開は予断を許さぬものになるだろう。
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(参考動画)「台湾民主化の歴史」©アジア情勢チャンネル
・前編:第二次世界大戦の戦後史。蒋介石の時代。二二八事件、戒厳令、白色テロ
・後編:李登輝、蒋経国の時代、台湾海峡危機、民進党