2021.05.30
概念のつくり方──アイン・ランドの認識論
毎回テーマを決めて、ランドによるテキストや関連資料等を参照しながら、月1回程度、メンバー同士で意見交換を行っているARCJ定例会。今回は、認識論についてのランドの著作 Introduction to Objectivist Epistemology(『客観主義的認識論入門』)から、第2章「Concept-Formation」(「概念の形成」)(初出:『The Objectivist』誌1966年7月号、1979年増補版、1990年増補第二版所収)を取り上げてディスカッションしました。発案・発表者は、いちばん若いメンバーの三上哲寛さん。当日配布された資料はこちら。
ランドの小説作品は、21世紀にはいってから次々と翻訳され、『水源』と『肩をすくめるアトラス』の二大長編に加え、『われら生きるもの』、『アンセム』といった初期作品も含めて、リバタリアンな傾向をもつ若い人たちを中心に、日本でもようやく注目を集めるようになってきました。そのいっぽうで、フィクション以外のランドの著作は、紹介が遅れており、ほとんど読まれていないのが実情でしょう。
(唯一、藤森かよこ先生による翻訳(抄訳)が出ていた The Virtue of Selfishness: A New Concept of Egoism が、先日、ナサニエル・ブランデンが執筆した章を含む完全新訳(田村洋一監訳、オブジェクティビズム研究会訳)として──『SELFISHNESS(セルフィッシュネス)―自分の価値を実現する』というタイトルで──Evolving社より復刊されました。)
でも、その小説作品に比べ、ランドの哲学的エッセイはいささか難解で、初心者にはとっつきにくいことは確か。とはいえ、厳密な定義と論理に基づく独自の考察を通じて、曖昧な思考の霞を一刀両断するランドの論文は──三上さんの言葉を借りれば──「丁寧に緻密に重ねられた積み木のような思想体系」を成しており、じっくりと読んでいくと、やがて難しい数式の解を得た瞬間のように、明快な認識に到達するプロセスがきわめてスリリングです。「Concept-Formation」を読んで、アイン・ランドの凄みを思い知ったという三上さんは、心理学でいう「アハ体験」(Aha-Erlebnis)に譬えていましたが、まさしく、そうしたインパクトをもたらすのがランドの文章の醍醐味でもあります。
元FRB議長で、ランドの弟子筋にあたるアラン・グリーンスパンもまた、自伝のなかで、ランドとの出会いと、「アハ体験」を喚起した、その恐るべき論理力の鋭さについて次のように回想しています。
(最初の結婚相手だった)ジョアンの親友がナサニエル・ブランデンと結婚していた。ブランデンはアイン・ランドの若い弟子であり、後に恋人になっている。こうした関係で、わたしはアイン・ランドに出会った。ランドはロシアからの亡命者で、小説『水源』が戦争中に大ベストセラーとなっている。わたしはランドの小説を読んで、感激した。ハワード・ロークという建築家の物語であり、自分の理想の実現をはばむ圧力に雄々しく抵抗する。大規模な公共住宅プロジェクトで自分の設計が変更されていることを知って、工事中の建物を爆破するが、裁判で無罪判決を勝ち取る。ランドがこの小説を書いたのは、理性、個人主義、洗練された自己利益を強調する哲学を示すためである。後に、ランドはこの哲学を客観主義と呼ぶようになる。いまでは、自由意志論(リバタリアニズム)と呼ばれている。
客観主義は自由放任の資本主義が理想の社会形態だと主張する。当然ながら、ソ連の共産主義を嫌悪する。ソ連で教育を受けたランドは、共産主義とは粗暴な共同体主義だと考えていた。ソ連の最盛期に、その体制は根本から腐敗しているので、いずれ内部崩壊すると主張していた。
ランドのグループでは自分たちを共同体と呼んでいた。共同体主義と対極にある考え方のもとで集まった集団なのだから、これは仲間うちのジョークだ。東三十四丁目のランドのアパートメントに少なくとも週に一回集まり、世界の動きについて徹夜で議論していた。ジョアンの紹介で参加したとき、グループは少人数で、七人か八人が質素な居間に集まっていた。ランド、夫で画家のフランク・オコナー、ブランデン夫妻と、あと何人かいた。アイン・ランドはごく質素で、四十代後半の小柄な女性だった。顔は厳しいといえるほど個性的で、口は大きく、額は広く、目は知的で黒く大きい。黒い髪を少し内側にカールさせ、顔の特徴を際立たせていた。アメリカに移住して二十五年になるが、ロシア語訛りが目立った。論理的に考える姿勢をとり、あらゆる考えを分析して基本的な要因に分解する態度が徹底しており、世間話には興味を示さない。このように外見は厳しそうだが、議論の際にはおおらかだった。誰のどのような考えでも検討し、先入観をまじえずに判断するようだった。
わたしはしばらく黙って話を聞いていたが、何回目かの集まりで論理実証主義の立場を表明した。何を議論していたときかは忘れたが、何かのきっかけで、絶対に正しいといえる点はないという持論を主張したのである。アイン・ランドはこの主張に飛びついて、「どうしてそういえるの」と質問した。
「合理的に徹するのであれば、十分な証拠がないかぎり、確信をもつことはできないからです」とわたしは説明した。
「どうしてそういえるの」とランドはもう一度いい、「自分はたしかに存在するといえるのですか」と質問した。
「それは……、確信できません」
「では、自分は存在しないといえるのですか」
「いえるかもしれません」
「だったら、そう話しているのは誰なのですか」
たぶん、その場にいなければ、このときの衝撃は理解してもらえないかもしれない。それ以上に、二十六歳の数学オタクでなければ。だが、この会話は衝撃的だった。わたしの主張が矛盾していることを、ランドは見事にあきらかにしたのだ。
だが、矛盾をつかれただけではなかった。わたしは自分の論理力を誇っていて、知的な議論なら誰にも負けないと思っていた。だが、アイン・ランドと話していると、チェスでうまく指せていると信じていたのに、突然、詰んでいることに気づくような印象を受けた。自分が正しいと信じてきたことの多くがまったくの間違いなのかもしれないと思うようになった。もちろんわたしは強情だし、当惑もしたので、すぐに負けを認めることはなかった。ただ黙り込んでいた。
その夜、ランドはわたしに「葬儀屋」というあだ名をつけた。わたしがいつも真面目くさっていたからであるが、スーツとネクタイがいつも黒っぽかったからでもある。後で聞いた話だが、それから数週間、「葬儀屋は自分の存在を認めたの」とランドは何度も聞いていたという。」
(アラン・グリーンスパン『波乱の時代─わが半生とFRB─ 上』山岡洋一・髙遠裕子訳、日本経済新聞出版社、2007年)59頁‐62頁。
ランドがもっとも偉大な画家だと評価するフェルメールの絵画が「科学的」とも呼べるほどのリアリズム描写で、いっさいの曖昧さを回避するように、ランドは、イタリックを多用して文中のポイントとなる言葉を強調したり、エムダッシュで叙述を補足したり、対照的あるいは類似的な意味を際立たせるために、韻文的な文章を並べて提示する等、きらめくような研ぎ澄まされた文体で、概念の輪郭をクッキリと提示しながら、この上なく明確な言葉に置き換えることを好みます(最後に一言、切れ味するどい皮肉の効いた警句めいたセンテンスを入れるところもランドのエッセイの特徴のひとつ)。
同様に、自作に「情緒」や「感傷」や「偶然」が介入することをけっして許さなかった映画監督の増村保造──人間とは意志をもった存在にほかならないという、まさしくランド的な意味での真のロマン主義を全作品にわたって貫いた唯一人の映画作家──の演出を〝建築物〟に譬えたのは、日本でもっとも信頼できる映画評論家の轟夕起夫氏でしたが、彼の言葉に倣うなら、ランドのエッセイには、「レンガをひとつひとつ指示通りに積み上げていく建物のように、計算された」言葉が「〝カチッ、カチッ〟と嵌められていく」「官能的なまでの連結性」(註1)がみてとれるといってもよいかもしれません。
同じ意味で、ランドの小説作品の魅力もまた、その卓越したストーリーテラーとしての類まれなる至芸だけでなく、「精緻に組み立てられた巨大建造物」のような、あるいは「歯車の嚙み合った、連結機械が潤滑に作動していくイメージ」にあることに、一度でもその作品を読んだことがある方なら気づくはず。
さて、前置きばかりが長くなりましたが(←長すぎるッ!)、今回ランドの認識論を読み解くにあたって、まず、三上さんから提示されたのは、「ラーメン」、「すべり台」、「熊」という、異なる三つの事物のイメージ。ひとつひとつは一見、まるで関係性のないイメージですが、ランドの理論に基づけば、このうちの二つに何らかの類似性(共通項)をみつけると、そこに一つの「概念」が浮かび上がってくるというのです。たとえば、幼い子供を持つ親であれば、「すべり台」から「公園」、「熊」から「動物園」を連想することで、〈子供を連れて行きたい場所〉という一つの概念が形成されるといった具合に。つまり、人は、複数の事象をみて、二つ以上の事象のなかに共通項を見出したときに、ある概念を形成するというプロセスを踏んでいるのです。
「Concept-Formation」において、ランドは、まず、「“概念”とは、具体的な特徴(複数可)に基づいて特定され、具体的な定義によって結合された二つ以上の単位(ユニット)が知的に統合されたもの」だと規定します。
その上でさらに、次のように述べます──
その単位に関わっているのは、諸々の実体、特性、行動、品質、関連性など、現実のあらゆる側面であり、知覚的な具体物であったり、以前に形成された他の概念であったりします。その特定行為に関わっているのは、“抽象化”のプロセスです。すなわち、現実のある側面を他のすべての側面から“取り出し”たり、“切り離し”たりする選択的な知的集中です(たとえば、ある属性を、それを有する実体から特定する、あるいは、ある動作を、それを実行する実体から特定する等)。その結合に関わっているのは、単なる合計ではなく、“統合”です。すなわち、その単位が融合して“単一の”新しい“知的”実体となり、その後は、単一の思考単位として使用されるのです(ただし、必要に応じていつでも構成単位に分解することができます)。(拙訳、以下同)
概念(コンセプト)の語源は、ラテン語で「取り込む」という意味にあたる”concipio”であることからもわかるように、頭のなかに取り込まれた概念に対する視覚と聴覚の象徴としての記号が「言葉」になるわけです。
次に、三上さんが例として提示したのは、形状の異なる多くのレタスや白菜の切れ端のなかに一つだけレモンが並べられた画像。実際にこうしたものを、それを見ていない人に対して伝えようとするとき、もし言葉を使うことができなかったら、「葉の断端がちりめん状に縮れている青い葉の部分」等、それぞれの特徴を示す多くの絵を描いて説明するしかありません。そこに「葉野菜」という言葉が登場します。すると、形状の異なる無数の葉っぱの切れ端は、一気に圧縮され、「葉野菜」という一つの言葉で理解されることになります。別の言い方をすれば、「葉野菜」というものは現実には存在しないのです。実際に目の前にあるのは、「様々な形状をした断端がちりめん状に縮れている青い葉の部分が無数に並んでいるなかに黄色い果実がひとつある」という状態なのです。しかし、「葉野菜」という「言葉」を生み出すことで、頭のなかに「葉野菜」なるものが存在することになるのだという、三上さんの説明に、一同深く納得。
同様に、「人間」という言葉について考えてみます。ここで、三上さんは、参加者に〈「人間」と握手することはできるのか?〉という質問を投げかけました。ちょっと考えただけでは、手を差し出しさえすれば物理的に可能であるような気がするものの、実は、「人間」というものは現実には存在していません。ただし、「人間」という概念は、しっかりと頭のなかに存在しています。三上さん曰く、「現実にあるたくさんのものを、一気に圧縮して、頭の中で別のものをつくり出すのが言葉の力」なのだと。
これについてランドは、『ロマン主義宣言』の第一章「The Psycho-Epistemology of Art(芸術の心理認識論)」においても次のように述べています──
概念は、いかなる瞬間においても、人間の純粋な知覚能力のおよぶ範囲以上に、意識的に知覚の焦点を合わせることを可能にします。ただし、人間の知覚的な意識の範囲──一度に扱える概念の数──は、限られています。人は、四つや五つの単位を視覚化することは難なくできるかもしれません──たとえば、木が五本あったとします。しかし、百本の木や十光年の距離を視覚化することはできません。その種の知識を扱うことを可能にするのは、人間の概念的な能力だけなのです。
人間は言語によって概念を保持しています。私たちが使うすべての言葉は、固有名詞を除いて、ある種の具体性の無限の数をあらわす概念です。概念とは、“特別に定義された単位”の数学的な連続体のようなものであり、両端が開いていて、その特定の種類の“すべての”単位を含んでいます。たとえば、「人間」という概念には、現在生きているすべての人間、今までに生きてきた人間、あるいはこれから生きていく人間が含まれています。膨大な数の人間を実際にみて研究したり、何かを発見したりすることはもとより、そのすべてを把握することなど到底できないからです。
言語とは、抽象的なものを具体的に、より正確には具体性と同等のものを、管理可能な数の特定の単位に変換するという、心理認識論の機能を果たす視覚的・聴覚的な記号のコードだといえます。(心理認識論とは、意識と潜在意識の自動機能との相互作用からみた人間の認識プロセスの研究です。)
では、概念は、現実とどのように対応しているのでしょうか。ランドは、そこに「属性」と「差異」の定義原則があるといいます。もっともシンプルな概念として「長さ」を例にとって説明するならば、その概念の形成プロセスは、ランドによれば次のようになります──
子供がマッチ、鉛筆、棒を考えたとき、“長さ”という属性は共通していますが、具体的な長さには差異があります。そのちがいは測定値の相違です。“長さ”という概念を形成するために、子供の知能は、属性を保持し、その特定の測定値を省略するのです。
ランドの説明によれば、子供は、棒状の三つの物体を観察することで「長さ」という概念を把握し、その後、その概念を使って一本の紐、リボン、ベルト、廊下や通りにある長さという属性を識別するときにその原理に従うということになります。つまり、長さは何らかの量で存在しているが、どのような量でも存在し得えるため、子供は、長さの単位に定量的に関係する、長さを持ったあらゆる存在の属性を、量を特定することなく“長さ”として特定しているのだと。
ここに概念形成のプロセスの本質がある、とランドは断言します。とはいえ、人間が形成する最初の概念は、「長さ」のような抽象的概念ではなく、実体の概念です。しかし、ランドは、たとえば「テーブル」のような実体的概念についても同様に、このプロセス形成の原理があてはまるとします。
子供の知能は、二つ以上のテーブルを他の物体から特定し、その特徴的な形状に注目します。テーブルの形は様々ですが、平らな面と支えがあるという共通の特徴があります。形だけでなく、テーブルの他の“すべての”特徴(その時点では多くを認識していません)についても、その特徴を維持し、特定の測定値を省略することによって、「テーブル」という概念を形成するのです。
大人が考える「テーブル」の定義とは、「他の小さな物を支えるための、平らで水平な面と支えからなる人工物」となるでしょう。この定義において何が指定され、何が省略されているかを観察してください。形状の特徴は指定され、保持されていますが、形状の特定の幾何学的な測定(表面が正方形、円形、長円形、三角形であるかどうか、支持体の数と形状など)は省略されていますし、サイズや重量の測定も省略されています。ただし、テーブルの実用的な要件においては、省略された測定値に一定の制限が設けられていることに着目してください。この制限は、テーブルの目的によって要求される寸法よりも 「大きくもなく、小さくもない」という形状で設定されます。これにより、十フィートの高さのテーブルや二インチの高さのテーブルは除外され(後者はおもちゃやミニチュアのテーブルとして下位に分類されるかもしれませんが)、非固体などの不適切な素材も除外されます。
この文脈では、「測定値の省略」という言葉は、測定値が存在しないとみなされることを意味するのではなく、“測定値は存在するが指定されていない”という意味であることをしっかりと念頭においてください。測定値が存在“しなければならない”ことは、このプロセスの本質的な部分です。原則として、関連する測定値は、“ある程度の”量で存在しなければなりませんが、“任意の”量で存在しているかもしれないのです。
以上のプロセスを踏まえ、ランドは改めて、「概念とは、同じ特徴(複数可)をもつ二つ以上の単位を、それぞれの測定値を省略して頭のなかで統合したもの」だと定義します。
話がちょっと難しくなってきましたが、三上さんは、よりわかりやすく次のように説明してくれました──「いま説明したことは、絵で表現することができません。15センチの鉛筆や、140センチのネクタイや、2.5メートルの物干し竿の絵は描くことはできますが、〝長さ〟という概念を絵で表現することはできません。四本足が腰の高さまであるテーブルや、丸テーブルや、プラスチック素材のテーブルの絵を描くことはできますが、〝テーブル〟という概念を絵で表現することはできないのです。唯一可能なのは、考えられるテーブルの形をすべて絵にすることですが、そんな作業をしたところで永遠に終わりません。そう考えると、概念の《圧縮力》というのは、とてつもないものだといえます。古代人が絵ではなく言葉で物事を考えるようになったとき、その知的世界はすさまじく広がったことでしょう」。
ランドもまた、次のように述べています。
概念はランダムに形成されるものではありません。すべての概念は、まず二つ以上の存在物を他の存在物から区別することによって形成されます。すべての概念の区別は、“通約可能な特性”(すなわち、共通の測定単位を持った特徴)の観点から行われます。たとえば、長い物体と緑の物体を区別しようとしても、概念は形成されません。通約不可能な特性は、一つの単位に統合することはできません。
暗黙の測定として、「通約可能な特性」を一つの視点から比べることなら感覚的にもできるかもしれません(ランドは“知覚的”という言い方をしています)。例えば、〝色〟の程度は感覚的に認識できます。「赤っぽさ」と「緑っぽさ」のちがいが感覚的にわかるように。でも突き詰めると、〝色〟の程度は色相によって数字で表すことができるのだと三上さんは説明しました。たとえば、赤は色相0度で、緑は色相120度となるように。
ランドは概念形成における「通約可能な特性」について、次のように述べています。
概念形成のプロセスでは、通約可能な特性(テーブルであれば形、色であれば色相など)が不可欠な要素となります。わたしはこれを「概念的共通分母(Conceptual Common Denominator)」と名づけ、「人間が二つ以上の存在を、それを持つ他の存在から区別するための、測定単位に還元可能な特性」と定義します。
属性はそれだけでは存在できず、実体の特性にすぎません。(中略)実体の概念を形成するプロセスで、子供の知能は、あるグループの実体を他のグループから特定するために、特徴的な特性──すなわち、属性に──焦点を当てなければなりません。したがって、最初の概念を形成するときに属性を意識しますが、それは概念的ではなく“知覚的に”意識しているだけです。実体の概念をいくつか把握して初めて、実体から属性を抽象化して属性の概念を形成する段階に進むことができます。運動の概念についても同様で、子供は運動を“知覚的に”認識していますが、運動するもの、つまり実体の概念をいくつか形成するまでは「運動」を概念化することはできません。
三上さんによれば、動物も数を数えることができるという研究はあるとのことですが、概念を形成する能力こそ、人間と動物のもっとも大きなちがいだと言うこともできます。動物は、抽象化のプロセス──つまり、実体から属性、運動、数を知的に分離することはできず、2本のバナナや2枚の木の葉を知覚することはできても、「2」という概念を把握することはできない(らしい)からです。
では、わたしたちが三人の人を「人間」と呼ぶとき、正確には何を指しているのでしょう?
わたしたちが引き合いに出しているのは、他のすべての生物種から人間を区別する“同様の”特徴、すなわち理性的な能力をもった生物であるという事実です──しかし、人間“としての”わたしたちを識別する特徴と、生物“としての”他のすべての特徴の具体的な測定値は異なっています。(わたしたちは、ある種の生物として、同じかたち、同じ大きさの範囲、同じ顔の特徴、同じ重要な器官、同じ指紋など、無数の共通の特徴をもっており、これらの特徴はすべて、その測定値が異なるだけにすぎません)。
最後にランドは、概念が形成されるプロセスが数学と似ていることを指摘します。
概念形成の基本原理(省略された測定値は“何らかの”量で存在しなければならないが、“任意の”量であってもよいとされる)は、代数学の基本原理に相当します。代数記号は“何らかの”数値を与えられなければならないが、“任意の”値を与えてもよいとされます。この意味において、知覚的な認識は算数です。しかし、概念的な認識は認知の代数学だといえます。
概念とそれを構成する具体物との関係は、代数記号と数字との関係と同じです。2 a = a + aという式では、記号「a」の代わりにどんな数字を使っても式の真偽に影響はありません。たとえば、2×5 = 5+5、あるいは2×5,000,000 = 5,000,000 + 5,000,000のようになります。同様に、同じ心理認識論的な方法で、概念は、それが包含する単位の算術的連続のいずれかをあらわす代数学的な記号として使用されます。
人間のなかに「人間らしさ」がみいだせないと表明することで、概念を無効にしようとする者たちは、5にも5,000,000にも「aらしさ」がみいだせないと表明することで、代数学を無効にしてみればいいのです。(Rand, Ayn. Introduction to Objectivist Epistemology (p.18). Penguin Publishing Group. Kindle版.)
「人間らしさ」という「概念的共通分母」を、どう定義すべきなのかは、ここまで読んできた方には、もはや説明するまでもないでしょう。ふたたび三上さんの言葉を借りてランドの指摘を補足するならば、概念とは等差数列のようなものであり、等差数列は、それに当てはまる数字があれば、どんどん(無限に)広がっていくのです。同様に「葉野菜」という概念は、「葉野菜」の定義に当てはまるものがあれば、どんどん(無限に)広がっていきます。また、概念は代数のようなものでもあり、2 a = a + aという等式において、「a」に相当する数は、27でも300でも何でもよいわけですが、aに当てはまる数字は必ず存在している必要があります。また、「テーブル」という概念において、脚の長さは何でもよいわけですが、脚は必ず存在している必要があります。要するに、概念的な認識においては、その測定値が異なるだけであり、わたしたちは、概念を形成するとき、知らず知らずのうちに数学的な思考を行っているのです。
最後にふたたび、グリーンスパンの自伝から引用します。
アイン・ランドはわたしにとって、人生に安定をもたらす存在になった。短期間のうちに、考え方が一致するようになった。というより、主にわたしがランドの考え方を理解できるようになったのだ。一九五〇年代から六〇年代初めにかけて、ランドのアパートメントで開かれた毎週の集まりに、わたしは常連として出席している。ランドはまったく独創的な思想家であり、鋭い分析力、強い意思、あくまでも筋を通す姿勢をもち、合理性こそが最高の価値だと一貫して主張した。この点で、わたしの価値観もランドの価値観に一致していた。数学と厳密な思考が重要だと考えていたのだ。
しかしランドの思想はそれだけに止まらない。わたしとは比較にならないほど幅広い思想をもっていた。アリストテレスの哲学、とくに、意識とは切り離された客観的な現実があって、それを知ることができるという見方に心酔していた。自分の哲学を客観主義と呼んだのはこのためだ。また、アリストテレス倫理学の基本的な考え方、つまり、各人には生まれつき高貴な性格が備わっており、この潜在的な高貴さを活かすのが人間にとってもっとも重要な義務だとする考え方をとっていた。ランドと議論して思想を追求していくと、論理学と認識論の最高の講義を受けているようであった。わたしはランドの主張の大部分を理解できるようになった。(中略)
ランドは一九八二年に死亡したが、それまで親しい関係が続いていた。わたしの人生に大きな影響を与えてくれたことをいまでも感謝している。ランドに会うまで、わたしの知識は狭い範囲に限られていた。それまでのわたしの仕事はすべて事実と数値に基づくもので、何らかの価値観を追求するものではなかった。経済分析には熟達したが、それだけであった。論理実証主義の立場をとり、歴史や文学を軽視していた。チョーサーは読む価値があるかと聞かれれば、「時間の無駄だ」と答えていただろう。ランドからは人間を観察し、各人がどのような価値観をもっているか、どのように仕事をしているのか、何をしており、その理由は何なのか、どのように考え、その理由は何なのかを観察することを学んでいる。このため、それまでに学んできた経済学のモデルから、はるかに大きな分野へと視野が広がった。社会がどのように形成され、文化がどのような影響を与えるかを学び、経済学と経済の予想がそのような知識に依存していることを学んでいる。文化が違えば、物質的な富もまったく違う形で作られていく。こうした見方はすべて、アイン・ランドから学んだものだ。わたしがそれまで関心をもたなかった広大な現実に目を開かせてくれたのである。(前掲書)76-78頁。
ランドの認識論を丁寧に紐解きながら、解説してくださった三上さん、ご自身の「アハ体験」を共有させていただき、ありがとうございました!
(註1)轟夕起夫「無限に反転していく「調教と服従」の関係~増村保造の世界」、「増村保造 いびつな〝建築物〟」『轟夕起夫の映画あばれ火祭り』所収(河出書房新社、2002年)