2019.01.01
ランドのお正月
あけましておめでとうございます。
ランドは年越しを、クリスマス以上に盛大に楽しんでいたようです。
以前紹介した100 Voices: An Oral History of Ayn Randから引用します。
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オコナー(アイン・ランド)家では、年越しはクリスマス以上の祝日でした。誰の家で年越しパーティーを開くかは、年によって違いました。
― 年越しパーティーではどんなことをしていましたか。
みんな美しくドレスアップしていました。たいていホストの人が食べ物を用意して、踊るのにいい部屋がある場合は音楽をかけていました。
― 日付が変わる瞬間は?
ごく普通に盛り上がってましたよ。「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」を歌って、みんなに新年のキスをしていました。
(ランドの友人でファイナンシャル・アドバイザーだったKathryn Eickhoffの証言)
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日付が変わると夫フランクと二人で寝室に消え、夫の顔に口紅を塗って出て来る、みたいな余興も楽しんでいたとか。
ランドに心酔し、週末夜にランドのアパートに集っていた若者たちにとって、ランドの年越しパーティーに招かれることは羨望の対象だったそうです。
(Goddess of the Market: Ayn Rand and the American Right、Jennifer Burns、p.216)
元日はその年にし続けたいことをする日
ランドは、毎年1月1日に必ず守った習慣がありました。
再び100 Voices: An Oral History of Ayn Randからの引用です。
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アインには、元日に守っていたロシアのしきたりがありました。「その年にし続けたいことは、その年の最初の日のうちにしなければならない」というのがそれです。だから彼女は、元日には必ず時間を作って執筆していました。
(ランドの友人で1968年から1978年までレナード・ピーコフの妻だったSusan Ludelの証言)
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死の直前、すでに執筆困難な状態にあっても、ランドはこの習慣を守りました。
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彼女の健康は悪化していました。[1981年11月に生涯最後の講演を行った] ニューオーリンズからの帰路で体調を崩し、以後完全には回復しませんでした。短期間ですが入院も必要になりました。
〔中略〕
実のところ、11月になる前から執筆速度は低下し始めていました。12月になると、執筆できたのは2、3日だったと思います。執筆が進まず、彼女は自分の状態を残念がっていました。
1982年1月1日に行ったのが、彼女の最後の執筆になりました。テレビドラマ版『肩をすくめるアトラス』の第2部の最初のページでした。「一年を通してやることを、その年の最初の日にやる」というしきたりを守るために、彼女はこの執筆を行いました。
(ランドの友人で現在Ayn Rand Instituteの役員であるHarry Binswangerの証言)
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最後の執筆から3ヶ月後の1982年3月6日に、ランドは亡くなりました。
私もランドにならい、今日は今年一年を通してやり続けたいことをやります。
ランド関連の翻訳もその一つです。