SHARE

Twitter

Facebook

  • TwitterTwitter
  • FacebookFacebook
  • YouTubeYouTube

BLOG

2019.01.01

ランドのお正月

Category : 人物
Author : 佐々木一郎

あけましておめでとうございます。

ランドは年越しを、クリスマス以上に盛大に楽しんでいたようです。

以前紹介した100 Voices: An Oral History of Ayn Randから引用します。

 

————-(引用訳ここから)————-

オコナー(アイン・ランド)家では、年越しはクリスマス以上の祝日でした。誰の家で年越しパーティーを開くかは、年によって違いました。

― 年越しパーティーではどんなことをしていましたか。

みんな美しくドレスアップしていました。たいていホストの人が食べ物を用意して、踊るのにいい部屋がある場合は音楽をかけていました。

― 日付が変わる瞬間は?

ごく普通に盛り上がってましたよ。「オールド・ラング・サイン(蛍の光)」を歌って、みんなに新年のキスをしていました。

(ランドの友人でファイナンシャル・アドバイザーだったKathryn Eickhoffの証言)

————-(引用訳ここまで)————-

 

日付が変わると夫フランクと二人で寝室に消え、夫の顔に口紅を塗って出て来る、みたいな余興も楽しんでいたとか。

ランドに心酔し、週末夜にランドのアパートに集っていた若者たちにとって、ランドの年越しパーティーに招かれることは羨望の対象だったそうです。

Goddess of the Market: Ayn Rand and the American Right、Jennifer Burns、p.216)

 

元日はその年にし続けたいことをする日

ランドは、毎年1月1日に必ず守った習慣がありました。

再び100 Voices: An Oral History of Ayn Randからの引用です。

 

————-(引用訳ここから)————-

アインには、元日に守っていたロシアのしきたりがありました。「その年にし続けたいことは、その年の最初の日のうちにしなければならない」というのがそれです。だから彼女は、元日には必ず時間を作って執筆していました。

(ランドの友人で1968年から1978年までレナード・ピーコフの妻だったSusan Ludelの証言)

————-(引用訳ここまで)————-

 

死の直前、すでに執筆困難な状態にあっても、ランドはこの習慣を守りました。

 

————-(引用訳ここから)————-

彼女の健康は悪化していました。[1981年11月に生涯最後の講演を行った] ニューオーリンズからの帰路で体調を崩し、以後完全には回復しませんでした。短期間ですが入院も必要になりました。

〔中略〕

実のところ、11月になる前から執筆速度は低下し始めていました。12月になると、執筆できたのは2、3日だったと思います。執筆が進まず、彼女は自分の状態を残念がっていました。

1982年1月1日に行ったのが、彼女の最後の執筆になりました。テレビドラマ版『肩をすくめるアトラス』の第2部の最初のページでした。「一年を通してやることを、その年の最初の日にやる」というしきたりを守るために、彼女はこの執筆を行いました。

(ランドの友人で現在Ayn Rand Instituteの役員であるHarry Binswangerの証言)

————-(引用訳ここまで)————-

 

最後の執筆から3ヶ月後の1982年3月6日に、ランドは亡くなりました。

私もランドにならい、今日は今年一年を通してやり続けたいことをやります。

ランド関連の翻訳もその一つです。

 

初掲:東京アイン・ランド読者会 会報Vol.3(2017年12月30日発行)