2018.11.25
ゴーン会長の逮捕
ニュースが流れ始めたときはショックだったけど、まずは、またかと思った。才能のある起業家、スター経営者をよってたかって引き摺り下ろす光景。非凡な才能に庶民感覚を求め、功労者に謝罪を求め、名誉ある地位からおとしめて正義とする光景。
そもそも私は、社会的地位もあり賞賛されていた人がある日を境にメディアから一斉にたたかれるという光景が好きではないし、なにかの容疑で逮捕されたとたんに英雄を一夜で悪者にしてしまう世間というか空気はきらい。ただし、この容疑についてはいろいろと違和感が多すぎて、不気味さのほうがまさっていた。
報道が出てくるにつれて、これはひどい、ということがあるのかなあと思ったけれど、いまもそのざわざわとした感じは消えない。ペーパーカンパニーを作っていたとか、ルノーの取締役二人が、「これはひどい」と言って解任に同意したという報道があっても。
容疑は、「有価証券報告書」で役員報酬を過少申告したこと。その額は年間約10億円。驚異的なV字回復の立役者ゴーン社長が君臨した日産の売上高は12兆円。純利益は5,000億円。これにより利益が水増しされていたわけではないから、財務諸表への影響はゼロ。投資家は、売上高比率で0.01%の役員報酬の行方について、正しく知らされていなかった、という罪だ。世界各地に社宅があったとか、ベルサイユ宮殿で結婚式を挙げたとか、そのほかの報道も、外国の経営者や著名人の生活を垣間見たことがある人間ならば、だから?というレベルのもの。
謎はいろいろとある。まず、「有価証券報告書」については、トップの二人が作成するものではない。おもに経理部などで作成し、監査も経て、たいていは広報だのIRだの総務だの社内のいろいろな部署でチェックをいれて発行するもの。一度でもこの「有報」の制作なりチェックなりに関わったことのある人ならば、「え?」という容疑だ。
これは、司法や国家が関与する内容の事件ではないはずなのに、実際にひとりの経営者が武力を背景に連行され、今日も冷たい拘置所のなかにいる。一日本人としては、ゴーン会長がもう無茶苦茶悪いことをしていて(いま報道されているレベルの経費支出や過少申告でなく違法でもっと重大な背徳行為)しっかりとした証拠があるはずだと思いたいけれど、そうでないなら恐ろしい。
とくに恐ろしいのは、ゴーン会長含む容疑者二人が不在の取締役の決議で、彼の解任が決まったことだ。日産をどんなことがあってもフランスの会社にはしない、という意思によって、国家権力を背景に罪に問われるかどうかも微妙な一経営者を無理やり拘束し、日本の会社がフランスの会社に吸収されるのを阻止しようとしたということ。これがどうか、東京地検特捜部の担当者レベルの無茶な勇み足であって、より大きな意図がないことを望みたい。
これが本当ならば、私たちは政府が外国資産を武力で奪うような暴力国家になってしまう。資本の論理にしたがえば日産がフランスの会社になってしまうから、トップを拘束してそれを阻止するというのは、ベネズエラが外国企業を国有化したのと本質的には変わりない。
私とて、外国人の経営者が豪奢な暮らしをして日本人をこきつかっているという図式は好きではないけれど、日本がチャベス政権のベネズエラまがいのことをするのはもっと耐えられない。
それならば、日産がフランスの会社になったほうがまだましだ。クライスラーはダイムラーに買収され、イタリア人のセルジオ・マルキオンネをCEOに頂いた。
ゴーン容疑者の報酬や社宅などの問題はその重大さから考えると株主や消費者が判断すればよいもののなかに入るとおもう。検察はもはやあとにはひけないかもしれないけれど、せめて報道は、いたずらに庶民感情をあおるものでなく、事実をその重要性とあわせて冷静に伝えるものであってほしいし、ゴーン容疑者には早く公の場で弁明の機会をあたえてほしい。彼としてはもう、日本にいたとか、ここで名誉を回復したいと思う理由なんかないかもしれないけれど。
「合理的な人間がうちたてる政治制度は一つの合理的な道徳的前提に集約される。それは、何人も力に訴えて他人から価値を奪ってはならないということだ。一人一人がそれぞれの合理的な判断によって、立ち上がったり倒れたり、生きたり死んだりする。合理的判断をせずにつまずいても、犠牲となるのは本人だけだ。自分の判断力だけでは不十分とおもっても、それを高めるのに銃を与えられることはない」(『肩をすくめるアトラス』第三部「AはAである」第七章より)
アイン・ランドの理想世界では、国家は必要で(なので、アナーキストとかリバタリアンとかを彼女は毛嫌いしていた)その機能は、国民の人権を守ること。人権といっても最低限の生活をしていく権利ではなく、自由に活動する権利、他者から危害を加えられたり資産を強奪されたりしない法の支配を担保すること。
それにしてもどうして私たちは、抜きん出た才能のある人たちを引き摺り下ろし続けるのだろう。村上世彰氏、ホリエモン、舛添さん、猪瀬さん、小沢さん、エトセトラ、エトセトラ。
私は、自分がどんなに凡庸で、たとえば多少は貧しくとも、あちこちにスターがいて、なんなら贅を尽くした邸宅で豪奢に暮らしている世界がいい。もちろん、まわりの人たちがほどほどに豊かであることはとても重要だけど、スターをおとしめることで豊かになる人は誰もいないのだ。