2021.10.25
映画と原作の関係──『肩をすくめるアトラス』の映画化をめぐって(その2) マイケル・ジャッフェ インタビュー
アルバート・S・ラディによる『肩をすくめるアトラス』の映画化の試みは、脚本の最終承認権をめぐってランド側のエージェントと対立し、最終的な契約の締結に至らぬまま企画段階で頓挫したが、その後、別のハリウッドのプロデューサー、マイケル・ジャッフェが、父のヘンリー・ジャッフェとともに、ランドに脚本の承認権を与える英断を下し、正式な映画化権の取得に成功する。彼は、1970年代後半から80年代前半にかけて、ランド本人と共に、当時売れっ子の脚本家だったスターリング・シリファントに脚色を依頼し(註1)、当時「20世紀最高のグラマラス女優」と謳われたラクウェル・ウェルチを主人公のダグニー・タッガート役に起用して、『肩をすくめるアトラス』を8話連続のTVドラマに発展させようとした。
しかし、この企画もまた諸般の事情で中止に追い込まれてしまう。どうやらジャッフェ父子には山師的な一面もあったらしく、発言の端々にどこなく胡散臭さが漂うが、その反面、ランド本人に直接接触した当事者以外には知りえないであろう妙に説得力のある指摘もあり、ラディのインタビューとは違った意味で、最晩年のランドの素顔が垣間見える興味深いものとなっている。(インタビューア スコット・マッコンネル、インタビュー日 1999年11月19日)
──『肩をすくめるアトラス』のドラマ化に興味を持ったきっかけは何ですか?
マイケル・ジャッフェ:私が興味を持ったのは、父のヘンリー・ジャッフェが、’70年代半ばにNBCを経営していたポール・クラインと非常に親しい友人だったからなんだ。クラインはこの本を気に入り、父に権利を獲得できないかと相談した。そこで私は父に同行して東海岸に行き、アインに会って『肩をすくめるアトラス』の権利を獲得するための長いプロセスを開始し、無事獲得することに成功したわけだ。’78~’79年頃のことで、交渉は約1年がかりだったね。
──この本の印象はどうでしたか?
MJ:NBCがこの本に興味を示すまで、私はこの本を読んだことがなかったんだ。この本の印象は、自分の創造的なビジョンと才能を、自分が見ているとおりに市場に売り込む権利を強調していることだ。そのことがずっとずっと心に残っていて、アインと私はそのことについてよく話したんだ。実際、私たちはかなり良い友人になれたと思っている。頻繁にディナーに行き、さまざまな問題について話し合ったものさ。
──ミス・ランドとの最初の出会いについて教えてください。
MJ:最初のことは言えないんだが、最後のことなら言えるかな。もちろん、アインは過去にどんなネットワークからも認められたことのないレベルのコントロール権を主張していた。彼女はそれを成し遂げ、私たちはNBCを喜ばせるために文書の中で非常に巧妙な表現をしたんだ。これは非常に重要で画期的な交渉だったよ。最後の最後になって、契約を結ばなければならなくなったとき、私たちはニューヨークに行ったんだ。そこにはアインの弁護士であるポール・ギトリンとアインの代理人であるペリー・ノールトンがいてね。ポール・ギトリンは顎髭を生やしていて、ペリー・ノールトンも私も同じように、もっと濃い顎髭をたくわえていたんだ。でも、この契約書では、アインが自分のヒーローであるハンク・リアーデン、ジョン・ゴールト、フランシスコの3人はぜったいに髭を生やしていてはならないと明確に要求していたんだよ。彼女はそのことに対しとてもチャーミングな対応をしたので、私たちは大笑いしたものさ。だって、そのテーブルで彼女の周りにいた人たちは全員むさくるしい髭面だったんだから。このことは、彼女が非常に理にかなった判断ができるってことを示しているだろ。
私のアインに対する印象は、公の場ではないリラックスした環境でも、彼女が常に礼儀正しく、魅力的な話者であり、広い心をもち、決断力があり、思慮深く、ユーモアにあふれていたということだ。アインと二人きりで30分や1時間の食事をすることほど楽しいことはなかった。幸運なことに、アインが大勢の人と一緒にいるわけでもなく、人目につくわけでもないときに、何度かそういう機会に恵まれたんだ。二人きりの時や、時には父と私だけの時も、彼女は、一般的なイメージとはまったくちがう人だったね。
──それは、あなたの交渉を通じての印象なのでしょうか、それともメディアからの印象なのでしょうか。
MJ:世間やメディアが見ているアインは、非常にタフで、モノマニアックで、単一のビジョンを持ち、あれやこれやと非常に厳しい意見を持った排他的なタイプの論者だ。しかし、私は彼女がとてもとても魅力的で、礼儀正しく、礼節をわきまえた人だと感じたよ。これ以上のディナーコンパニオンはいないだろうね。晩餐会に招待するのに、これほど楽しい人はいない。しかし、人々が彼女に抱く印象はそうではないんだ。人々は、「アイン・ランド? いやはや! 勘弁してくださいよ」と言うわけだ。
──ハリウッドでの彼女の評判は?
MJ:もし、彼女が映画化に関与せず、単に映画を作るだけの人たちに任せていたら、その哲学のすべてに振り回されることもなく、プロットの最良の部分を取ることができ、素晴らしい物語になっていただろう。しかし、その諸刃の剣が、いつもこの作品を殺していたんだ。物語があまりにも哲学に満ちていて、彼女の物語の権利を管理している人たちが、誰にも映画を作らせるものかという印象を与えていたんだな。
──それは一般的な哲学だったからなのでしょうか、それとも特殊な哲学だったからなのでしょうか?
MJ:映画業界においては、それは単なる哲学だった。アインの哲学に深い不信感があったと読み取るのは間違いだ。われわれの歴史の中で、60年代には、アインに対する一般的な感覚として、妥協を許さず、人々のことを気にも留めず、タフガイで、無神経で、共感できないという時代があったと思う。今の時代はそうではない。ハリウッドは金儲けのためなら何でもする。彼らはそれを気にしない──35年前、40年前ならともかく──だから、それはアインに限ったことではないと思うね。
──ミス・ランドとの交渉についてもっと詳しく教えていただけませんか。
MJ:彼女は時々、矛盾の塊のような人だった。[脚本家のスターリング・]シリファントが、最初の2時間に収まるようにプロットを変更しなければならない部分があったことを覚えている。彼女は、原作から映画への翻訳に際して、オリジナル通りのドラマチックな台詞の効果について多くのことを語り、それがなかなか思いつかないと考えていたようだ。そこに、シリファントが「ただ (just)」という言葉を加えた台詞があったんだ。彼女は「ただ (just)」という一語が加えられたことに烈火のごとく怒り狂っていたが、プロットの一連の流れが変わったことについては、まったく気にしてないんだよ。だから何が彼女を逡巡させるのか、はっきりと理解しかねることがあった。でも、相手が彼女の悩みに応えてくれると確信できれば、それで十分だと思っていたようだね。
細かい台詞の変更が何度も何度もあったが、率直に言ってそれには承服しかねる。作家は誰でも、何年もかけてキャラクターを作り、一定の話し方をさせるものだ。なぜ、脚本家が彼らの話し方を変えるのか? “すべての”台詞を使わないことは理解できるが、台詞を変えるのは理解できない。台詞がその通りに書かれているからこそ、人々は本を読むのであって、それをなぜ変える必要があるのか。彼女はそのことにとても腹を立てていたよ。
しかし、肝心なのはコントロールだ。彼女は、自分が脚本と主要キャストを承認しない限り、映画を作らせないつもりだった。
──この問題にどのように対処したか思い出せますか?
MJ:NBCとの契約では、アイン側に承認された脚本を提供するという肯定的な義務を課した。言い換えれば、アインが脚本を否定するのは自由だが、そのままにしておくのは自由ではないということだ。彼女が満足するような脚本家を見つけられないのであれば、最終的には彼女自身が修正する義務があるわけだ。
──それは、あなた方にとって非常に良い解決策だったのではないでしょうか?
MJ:それは私たちにとっては好都合だった。というのも、市場において重要なのは、脚本を手に入れることができるとわかっていることであり、彼女は脚本家としての経験があり、実際に映画の脚本を書いたことがあるからだ。彼女はメディアにとっては外国人ではなく、明らかにその能力を持っている人物だった。もし、NBCのプロジェクトがあのまま進んでいたら、NBCでドラマを作ることができただろうし、彼女が自分で書く必要もなかったと思う。彼女はスターリング・シリファントを信じていたのに、ネットワークを引き継いだフレッド・シルバーマンが、このプロジェクトを嫌って中止にしてしまったんだ。
──ミス・ランドは、それぞれの役に誰を思い描いていたのでしょう?
MJ:彼女はラクウェル・ウェルチをダグニーにと考えていた。時代のなせる業だね。彼女は、その豊かで流れるような髪、ふっくらとした官能的な唇、そして並外れた美しさに反応したのだと思う。
──好きな俳優の話をしていましたか?
MJ:演技については話していた。彼女は[ロバート・]デ・ニーロのような「煙草になれ」的な[アクターズ・スタジオ風の自然主義的な]流派の演技は望んでいなかったね。
──彼女が求めていたのはどんな俳優でしたか。古き良きロマンティックなタイプですか。
MJ:その通り。彼女が大好きだったクリント・イーストウッドについても話したと思う。彼女はどうしても彼にハンク・リアーデンを演じてもらいたがっていたんだ。
──スターリング・シリファントはどのようにしてこのプロジェクトに参加したのですか?
MJ:脚本家を探しているという情報を業界に流したところ、彼の名前が出てきて、彼女は彼のことを『夜の大捜査線』(1967)で知っていたんだ。彼女はその映画が大好きだった。彼女は『夜の大捜査線』を素晴らしい映画だと思っていたんだよ。
──それでシリファント氏はどうなったのですか?
MJ:彼はその機会に畏敬の念を抱いていた。彼はとても彼女を崇拝していて、彼女が言うことなら何でもやっただろう。
──彼は彼女の著作のファンだったのですか?
MJ:ああ、その通り。彼は彼女の著書をすべて読んでいた。彼は彼女の物語、その構成をとても敬愛していた。
──彼が映画版で書いたことや、ミス・ランドとの関係について詳しく教えてください。
MJ:それは、広範囲にわたる協力関係だった。私たちは、何がどうなっているのかについて、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、何度も話し合ったものだ。彼は自分の「バイブル」を基に、第一稿の脚本を書いた。彼は、彼女の希望に沿って──すべての──トリートメント(要約)を作成した。疑問があれば、いつでも彼女に電話して相談した。私たちは何度もミーティングを重ね、とても良いパートナーシップを築くことができたし、NBCがあのまま続けてくれていれば、間違いなく日の目をみていたことだろう。
──その時のミーティングの様子を教えてください。
MJ:素材を細かく見ていったんだ。スターリングが書き上げたものを提出すると、彼らはそれに目を通し、彼はそれをまた書き直す。かなり標準的なプロセスだったね。彼女はとても熱心に取り組んでくれて、私たちはそのプロセスを楽しんだ。彼女には曖昧さがなく、アイデアがあればそれを明確に表現してくれた。
──彼女との仕事はどんなものだったか、もうすこし詳しく教えもらえませんか。
MJ:アインについていちばんはっきりと言えるのは、彼女が本当に賢かったということだ。思慮深いんだ。よく考えもせず、結果も考慮せずに、ただ思いつきのアイデアを出すようなことはけっしてしなかった。本当に頭の切れる人だった。彼女と一緒にアイデアを練るのは楽しかった──いつだって楽しかった──彼女は物事をよく考えているからね。彼女のビジョンはとても新鮮だった。
──スターリング・シリファントを採用する前に、彼女は彼にインタビューしたのですか?
MJ:ああ、もちろんだ。彼女は彼にたくさんの質問をした。彼女は、彼が素材を尊重してくれるかどうかを判断したかったんだ。彼女はそれを確認し、彼はそれに応えてくれて、二人はとても仲良くなったわけだ。
──シリファント氏との関係はどうだったんでしょう?
MJ:いやあ、非常に良好な関係だったよ。そこには何の問題もなかった。
──物語の構成について、彼女が言ったことを覚えていますか?
MJ:一番の問題は、『肩をすくめるアトラス』を映像化する際に、本の内容をすべて盛り込むことはできないだろうということだった。時間が足りないわけだ。それをやったら全部で30時間かかってしまう。実際に、彼女は座ってジョン・ゴールトの演説を全部読んで時間を計ったんだ。全部で4時間20分か、そのくらいじゃなかったかな。ともかく、ジョン・ゴールトが演説を読むのに三晩も続けてテレビに出るわけにはいかない。そこで、彼女はこう言ったんだ──「あなた方は、それに相当するドラマチックな等価物を見つけなければならないわね。でも、私がそのスピーチを編集してあげるから心配しないで。そのスピーチを3分から7分にまとめてみせましょう。私がやらなければなりません、そんなことは誰にもできないのですから」と。
私はいつも、誰もが「だめだ、すべてが神聖にして冒すべからざるものなのだ」と言うような台詞を減らすことについて話すのが好きだったよ。しかし、彼女は賢く、何を神聖化すべきかを考え抜いていた。
──その他、脚本を書く上でのアドバイス、例えばキャラクターのカットなどがあったのなら教えてください。
MJ:カットについては覚えていないな。そんなことを率先してやる者は一人もいなかったことは確かだね。フランシスコを追い出すみたいなことはなかった。
──映画を売るための努力、スタジオでの準備、そして脚本の完成まで、とても大変な作業だったようですね。それらすべてに彼女はどのような姿勢で臨んだのでしょうか?
MJ:とても協力的だった。彼女はとても熱心に製作に関わってくれたよ。
──NBCが中止にしたと言った時の彼女の反応は?
MJ:彼女はとてもがっかりしていた。でも彼女は頭を高く上げて、男らしく受け止めたよ。
──それを個人的に伝えたのですか?
MJ:実際には電話で伝えたのかもしれないが、確信はないな。
──彼女の夫であるフランク・オコナーには会ったのですか?
MJ:一度もない。ジョン・ゴールトは絶対に──彼女は何度も繰り返し言っていた──彼を手本にしたんだと。ダグニーがジョン・ゴールトの目を見て、自分にとって唯一無二の男だと確信したのは、アインが夫の目を見て感じたものと同じだったとね。
──彼女がそう言ったのですか?
MJ:そうだとも。彼女はそう言ったよ。
──アイン・ランドと最後に会ったときのことを覚えていますか? ニューヨークで会った後、彼女と再び話をしましたか?
MJ:ああ、そうだね。あのニューヨークでの会議は、70年代にNBCとの契約を結ぶためのものだった。その後、彼女とは何百回となく話をした。ターナー[エンターテインメントカンパニー]での可能性、[映画プロデューサーの]ジェームズ・ヒルとの長編映画制作の可能性などをね。彼女が亡くなる直前まで、活発に連絡を取り合っていた。
──彼女との付き合いの中で、彼女に変化はありましたか?
MJ:ないね。
──スターリング・シリファントは彼女を「アイン」と呼んでいたのですか?
MJ:そう、彼はそれを彼女とのビジネス上の秩序の一部にしていたんだ。彼女はもちろん、先ほど話したように、とても礼儀正しい人だし、私も今日に至るまで、断りもなしにマイケルと呼ばれるのは好きじゃない。彼女もまさしく同様だったが、シリファントとの最初の長いミーティングで、彼女は彼に〝アイン〟と呼んでほしいと頼んだんだ。でも彼はそれを拒否した。彼は「脚本が解決するまではいけません」と言ったのさ。「もし脚本が完成して、映画が作られるようになったら、私はそれを承諾するかもしれませんが、それまでは、あなたは〝ミス・ランド〟です」とね。彼女は、基本的にそれはあなたが選択することだが、私を〝アイン〟と呼ぶことは歓迎します、と答えたよ。
──ミス・ランドとは、市場での競争などについて話をしましたか? また、ハリウッドでのビジネスの経験などを話しましたか?
MJ:いつだってその話をしていたよ。
──彼女は何と言ったのですか?
MJ:第一に、彼女はとても励ましてくれた──いつだってね。第二に、彼女は常に競争の激しい市場に多大な敬意を払っていたし、表向きの性格とは異なり、非常に感情移入しやすい人だった。それは理にかなった判断をくつがえすようなものではなくて、彼女が不躾だということでもない。
その本、その思想、その論争なら誰もが知っている。私が知る彼女はそういうものとは関係ない。私が知っている彼女は、長い間、私と一緒に懸命に働いてくれた人だ。私たちは、この作品の中で様々な展開や経験を、つまり、この作品を作るために様々な試みをしたわけだ。私たちはなんとかこの作品が日の目を見るように、TNT、NBC、CBSと、何度も挑戦した。しかし、私にとっての真実は、彼女が実にどえらいギャル(a hell of a gal)だったということだよ。
(スコット・マッコンネル編著『100人が語るアイン・ランドの口述史』、ニュー・アメリカン・ライブラリー、2010年 Scott McConnell, 100 Voices ~ An Oral History of Ayn Rand, New American Library, 2010)より
(註1)ランドは、『肩をすくめるアトラス』のドラマ化にあたってシリファントを起用した理由について、以下のように述べている──
「──スターリング・シリファントの『夜の大捜査線』の(アカデミー賞を受賞した)脚本を絶賛していますね。彼が書いた他の作品を推薦しますか?
AR:『夜の大捜査線』の原作を読みましたが、悪い意味でのライトノベルでした。この映画の良いところ──シリアスなところ──は、すべて脚本で加えられていて、だからこそ私はシリファントがとても好きなのです。彼は大規模なパニック映画も書いています。先日の夜にテレビで見た『タワーリング・インフェルノ』は、その内容にしては非常によくできていました。彼は『ポセイドン・アドベンチャー』も書いていますが、これはひどいもので、つまらなかった。だから、彼は多少変則的なんです。『夜の大捜査線』は彼の代表作です。彼はそれに匹敵するものを持っていません」。
(アイン・ランド「視覚的芸術と音楽」、『The Ayn Rand Answers: The Best of Her Q&A』(2005)より)