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2021.10.24

映画と原作の関係──『肩をすくめるアトラス』の映画化をめぐって(その1) アルバート・S・ラディ インタビュー

Category : 人物
Author : 宮﨑 哲弥

 クリント・イーストウッドの最新作『クライ・マッチョ』(2021)にも製作者の一人として名を連ねているアルバート・S・ラディは、『ゴッドファーザー』(1972)や『ミリオンダラー・ベイビー』(2004)で、アカデミー作品賞を受賞したハリウッドの大物プロデューサーである。1970年代初頭、彼は映画版『肩をすくめるアトラス』を製作する予定だった。
 残念ながらその企画はアイン・ランド本人と直接交渉した結果、どうしても双方の契約条件の折り合いがつかず頓挫し、今ではその事実を知る人もほとんどいないが、本インタビューでは、映画化の企画が立ち上がった背景から、映画そのものの構想、想定されていたキャスティング案等について、ラディ本人が率直な言葉でその裏事情を明かしている(ただし、最終的に契約が破棄された理由については双方の言い分が食い違っている部分もあるようだ)。
 いずれにしても、当時密かに進行していたこの一大プロジェクトの発端から終焉までの経緯のみならず、ランドの人となりもわかる大変貴重なインタビューといえるだろう。(インタビューア スコット・マッコンネル、インタビュー日 1999年10月20日)

 

──『肩をすくめるアトラス』の映画化に興味を持ったきっかけは何ですか?

アルバート・S・ラディ:他の1億の人たちと同じように、私も大学時代にこの本を読んだんだ。アイン・ランドに会う前に、すでに3、4回は読んでいたよ。実際、何百ページにもわたってアンダーラインを引いていたものさ、『ゴッドファーザー』をやっている最中にもね。『肩をすくめるアトラス』が非常に野心的なプロジェクトであることは知っていたし──『ゴッドファーザー』級のクォリティでそれを映画にするなら、作者自身も楽しめる作品になるだろうと思ったわけだ。で、代理人のカーティス・ブラウンに電話すると、「注意してください。敬意を示さないかぎり、アインは、ぜったいにこの本を誰にも渡しません。敬意を示してくれるのなら、彼女は喜んであなたに会うでしょう」と言われた。私は「会わせてほしい」と言ったよ。「この女性にぜひ会ってみたいんだ」とね。
 初めて彼女に会ったのは、カーティス・ブラウンの事務所でだ。代理人は巨大なオフィスのデスクの後ろにいて、周りには空の椅子が4、5脚あって、アインはかなり小さな二人掛け用のソファに座っていてね。私が部屋に入ってその窮屈なソファに身を縮めるように座ったら、彼女は私を見上げていた。私は193センチあるけど、彼女はとても小柄だからね。ソファの背もたれに腕を回していたら、彼女は、「ダーリン、あなたはどんな本を読むの?」と訊いてきた。私はこう言った。「アイン、私は小説をたくさん読むのが好きじゃなくて、基本的に多くのことを機能的にこなすタイプなんです。でも、『肩をすくめるアトラス』を読んで思ったんです、なんとファンタスティックな小説なんだと」。
 彼女は即座に、私が映画で何をしたいのかを知りたがった。私はこう言った。「アイン、あなたは、もっとも偉大なスリラーのひとつ、もっとも偉大なラブストーリーのひとつを──私がこれまでに読んだ現代文学のなかで最高の、女性の偉大な側面を書いた人だ」と。彼女は言ったよ、「まさしくその通りよ、ダーリン。それこそ私の見方だわ。私が望んでいたのはそれだけ」とね。
 私はアイン・ランドに作品のイメージを伝え、彼女もそれに同意してくれた。彼女は、作品のスリラー的側面やラブストーリー的側面、セクシュアリティの扱い方にも同意してくれた。映画のなかで、あえてオブジェクティビズム(註:ランドが作り上げた思想体系)を持ち上げなくても、そこにはそれがあるわけだし。彼らが自分たちのものを守るために戦わなければならないこと、そしてゴールトが世界のモーターを止めていることに気づくこと、それは物語の中で暗黙の了解となっている。だから、私がそれを焚きつける必要はない。それはそこにある。しかし、その前には何が必要なのか? 観客が恋に落ち、気にかけ、生きるか死ぬかを望み、望むものを手に入れることを望むキャラクターとは誰なのか? 観客は何を望んでいるのか? 何が彼らの望みを阻んでいるのか? そして、最後に何が起こるのか? とてもシンプルだ。これが、私が注目する4つのステップだ。それらはすべて本のなかに書いてあった。


──その最初のミーティングでは、他にどんなことを話したのか、詳しく教えてください。

AR:彼女は、私自身について尋ねた。私がどのようにして映画界に入ったのかとか。私が『OK捕虜収容所』というTVシリーズを作っていたことを話すと、彼女は大はしゃぎしていたよ。笑ってくれてね。


──彼女の印象はいかがでしたか?

AR:出会ってから5分後には、彼女は見た目よりもずっと大きく見えた。というのも、彼女はダイナミックで、非常に鋭い洞察力を持っていたからだ。彼女と一緒に過ごした時間は、ずっと記憶に残るひとときだった。あまり実りのないことがわかった最後のミーティングでさえ、彼女は魅力的だった。第一、あのアイン・ランドに会うというだけでも、それはとても名誉なことだ。私は彼女に会うことを楽しみにしていたが、期待を裏切られることはなかったよ。
 そこで、プロジェクトを発表するための派手な記者会見を行い、契約を成立させることになったんだ。私たちは資金面の問題を解決して、契約書を作成していた。いくつかの問題に直面したが、そのうちのひとつが、すべてを覆してしまった。彼女が脚本の最終承認権を求めたことだ。私は彼女に説明しようとしてこう言った。「アイン、この小説がどれほど重要かという観点から、最終的な脚本の承認を得る権利を持つ人がいるとしたら、普通ならあなた以外に考えられないだろう。しかし、誠に失礼ながら、今言えるのは、1100ページの本の著者に最終的な脚本の承認を与える者はいないということだ。つまり、ジョン・ゴールトが最後にアメリカに向けて60ページもの演説をすることは、映画ではできない。あなたは脚本の開発に深く関わることになるだろうが、その過程で監督が映画製作を引き継ぐときが来る──非常に価値ある作品を書いたメジャーな作家が怖れるのは──監督が映画の制作を引き継ぐときが来るってことだ。監督は、『私は、あなたが脚本を最終的に承認した上で、あなたが思い描いたものを撮影しますよ』とは言わないものだ。監督は、自分が監督であるがゆえに意見を持っている。また、プロデューサーも同様だ。プロデューサーは、映画を製作するために他の問題を考慮しなければならないし、脚本家は、映画的な経済学を学んでいるので、14ページも割かずに内容を伝える方法を知っている。だからこそ、手放さなければならない瞬間がある。さもなければ……この映画を自分で[出資者を集めて]やってみてはどうか?」と言ったんだ。


──この問題は、なぜ記者会見をする前に解決しなかったのでしょう?  記者会見では、確定事項を発表するものだと思っていましたが。

AR:基本的には、私が重要だと考えていたことについては、その段階で解決していた。私は、本の著者が最終的な承認権を得るという契約をしたことがない。それがここで問題になるとは考えもしなかった。振り返ってみると、それは愚かなことだった。というのも、明らかにその本は重要なものだったからだ。しかし、私は彼女と話し合うことができると思っていた──というのも、彼女は基本的に現実的な人だったので──プロセス自体が、ある時点で誰もが手放さなければならないことを要求しているのだと説明しようとしたんだ。小説家だけじゃない。脚本家、監督、プロデューサー、予算、撮影においてもそうだ。プロデューサーと監督は、それをマーケティング担当者に任せるしかない。それは、映画の構想から近所の映画館のスクリーンに映し出されるまで、さまざまな部署が連鎖していることを意味する。すべてをコントロールするのは一人じゃないんだ。


──映画の構想はどのようなものだったのですか?

AR:2時間半から3時間の超大作になる予定だった。問題なのは素材のほうで──これは問題というより「金持ちの困惑」と呼ばれているものだが──あまりにも多くのものを捨てなければならないことだ。実際のところ、1100ページすべてが映画に入るわけではない。それは始まる前から決まっている。だから、原作から映画を作る際のパズルは、何を抽象化するかを知ることだ。新しい台詞を書くわけではない。映画の中に登場する台詞はすべてアインの書いた台詞になる。だって、ダグニーやハンク・リアーデン、ムーチや他の登場人物のシーンを新たに書こうとする勇気のある者はいないだろう。しかし、映画のためにこの小説のエッセンスを抽象化したものとは何なのか? そこが問題なんだ。


──あなたとミス・ランドとの間で、その問題のエッセンスは何だと考えていましたか?

AR:基本的には、世界のモーターを止めて再起動させようとしている男の話を下敷きにした、スリラーであり、ラブストーリーになる予定だった。サスペンス要素の強いスリラーにもなるが、素晴らしいラブストーリーにもなるってことだ。そして、誰がこの糸を引いているのかを解明するミステリーになるはずだった。本筋は、ダグニーが鉄道を救おうとし、リアーデンがメタルを救おうとし、それらがどのように結びついていくのかということだった。
 笑える話のひとつは、アインが西海岸に行くときには必ずプライベートジェットで行かなければならないと契約書に書かかれていたことだ。理由を聞くと、「ダーリン、もし私が旅客機に乗っていることがロシア人に知られたら、ハイジャックされるわよ」という。さすがにちょっと行き過ぎかなと思ったものの、私は「問題ない」と答えた。だから、私は彼女が望んでいる条件のほとんどを吞んだんだよ。


──彼女は他に何を望んでいたのでしょうか?

AR:彼女は、脚本家を採用する前から彼に会いたがっていた。また、契約を結ぶ前から監督に会いたがった。私は、彼女に脚本に関する相談権を与えたかったんだ。というのも、本能的に分かっていたことは、契約がどうであれ、この映画が公開されるときには、彼女の承認を得たいと思っていたからね。『肩をすくめるアトラス』を作って、彼女にインタビューで、「これは私の映画ではありません。私はこの映画が嫌いなのです」なんて言ってもらいたくないだろ。それはだけは避けたかった。(原注1)


──ミス・ランドと『ゴッドファーザー』の話をしましたか?

AR:それは、彼女がその映画にとても魅了されたというだけの話だ。彼女は、『ゴッドファーザー』の壮大なスケールとそのストーリーを語るために費やした時間が、『肩をすくめるアトラス』をスクリーンに映し出すのに必要なものと相等しいと考えたんだ。


──1972年5月10日に、高級レストラン「21クラブ」で行われた『肩をすくめるアトラス』の記者会見について教えてください。

AR:お祭り騒ぎのイベントだった。「21」には150人くらいの人が詰めかけていただろうか。カーティス・ブラウンによると、アメリカやヨーロッパの主要な映画監督やプロデューサーが一度はこの本を手に入れようとしたが、彼女は決してそれを受け容れなかったという。彼女は素晴らしかった。彼女は、君の想像どおりの人物だ。ずば抜けたユーモアのセンスを備えていた。とてもチャーミングで、洞察力がある。特にニューヨークでは、彼女は世界の偉大な文学者の一人なのだから、誰もが彼女の話を聞きたい、会いたいと思っていた。


──当時のキャスティングの選考を覚えていますか?

AR:当時の私の考えは、ダグニー・タッガートにフェイ・ダナウェイ、ハンク・リアーデンにクリント・イーストウッド、フランシスコ・ダンコニアにアラン・ドロン、ジョン・ゴールトにロバート・レッドフォードを起用することだった。


──あなたの検討の結果をミス・ランドに伝えましたか?

AR:もちろんだ。彼女はそれらの俳優たちをとても気に入っていた。


──どのようにして関係が終わったのでしょうか?

AR:アインに最後に会ったのは、彼女の猫が死んだ時だった。彼女は三十四番街にアパートを持っていた。私は小さなシャムの子猫を手に入れ、三時ごろに車で立ち寄った。車には秘書のベティが乗っていて、夕方六時にカリフォルニアに出発するので、階下で待っていた。私は猫を連れて、アインにコントロールを渡せない理由を説明しようとした。彼女にすべてを与えたいのは山々だが、なぜ彼女に与えられないのか。夜の九時か九時半まで話し込んだよ。結局私は「アイン、私たちだけで話してもいいかな」と言った。ベティと[ランドの夫の]フランク[・オコナー]は別の部屋に残して、私と彼女だけで寝室に入った。「アイン、君と取引することはできないが、私の息が続く限り、生きている限り、君がこの世にいようがいまいが、いずれにしても[『肩をすくめるアトラス』の映画化という]この難事業を行うために待つ覚悟はできているんだ」と言った。「それが私の気持ちだ」と、私は彼女にストレートに伝えたが、彼女はそれを不快には受けとめなかった。彼女はちょっと笑っていた。私は、「でも、私はこの[映画化権取得の]争奪戦の最後の一人になって、いつかこれを作ってみせる」と言った。そうしたら彼女は笑ってくれて、それで終わったんだ。私は彼女が望む最終承認権を与えることができなかったし、[それが得られないかぎり]彼女は断固として拒否した。彼女は「でもダーリン、もし共産主義者がスタジオを買収したら私の本は台無しになるわよ」と冗談を飛ばしていた。


──猫を渡したとき、ミス・ランドは何と言っていましたか?

AR:彼女はとても感動していた。それ以外にはない。その猫を愛していた。小さなシャムの子猫だった。


──たしか「エンジェル」という名前だったかと。

AR:その猫も死んでしまったけど、私はこの女性のことがとても好きだったと言っておく必要があるな。もちろん、この本を手に入れるためには何でもしたよ。そのためには、象やゴリラだって捕まえて連れていったかもしれない。しかし、それはさておき、本当に純粋に彼女が好きだったんだ。彼女は私にとても親切にしてくれたし、記者会見では礼儀正しく接してくれた。私をとても温かく扱ってくれたし、私もそれを尊重した。そして私自身、彼女がこれほどまでに私に優しくしてくれて、好意をもってくれたことにとても感動したよ。
 彼女はとびきりのユーモアのセンスの持ち主だった。彼女にはやけに上品ぶったところなんかない。彼女の中には、私が反応するような率直さがあった。正直に言うが、彼女は自分が文学的に重要な人物であるとか、重要な何かだと感じさせるような態度はまったくなかった。一対一での対応だった。自分が何をしたいのか、何を意図しているのかがわかっていれば、自分の力を発揮することができた。彼女とは非常に直接的な関係を築くことができた。アイン・ランドとはどのような人物かという理由で、彼女に寄り添う必要はなかった。私は彼女のそういうところが好きだった。彼女は自動的に衣鉢を継ぐようなことはしなかった。なぜなら、彼女にはそうする権利があったからだ。彼女はそのような取引はしなかった。彼女はストレートに取引したんだ。私は、アイン・ランドがしたようにではなく、会議を始めるたびに、権威をふりかざして威張ろうとする低レベルな連中にさんざん会ってきた。彼女はただ、君の口から最初に出る率直な言葉を聞きたかっただけなんだよ。

 (原注1)ミス・ランドは、ラディが自分に脚本の承認を約束してくれたとはっきり信じていたようで、このプロジェクトの発表の中で次のように書いている(The Ayn Rand Letter, June 5, 1972)。「私は15年ほど前から、ハリウッドが著者に認めていない映画脚本の承認権を持つことを条件に、『肩をすくめるアトラス』の映画化権を売ることを拒否していました。ラディ氏は勇気を持って(そして『肩をすくめるアトラス』への敬意を持って)前例を破り、私の条件に同意してくれました」。一方で、アイン・ランドの代理人は、(記者会見から数ヶ月後の)1972年8月18日にラディに宛てた手紙の中で、ラディが「契約を守るつもりはない」と懸念を表明している。

 (スコット・マッコンネル編著『100人が語るアイン・ランドの口述史』、ニュー・アメリカン・ライブラリー、2010年  Scott McConnell, 100 Voices ~ An Oral History of Ayn Rand, New American Library, 2010)より