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BLOG

2021.07.24

現代ロシアとアイン・ランド

Category : 影響思想
Author : 内藤 明宏

私はいまだ訪れたことはないが、ロシアには、広大な平原に囲まれ、暗く寒く長い冬に支配される自然環境のイメージが付きまとっている。

アイン・ランドは周知のようにロシア出身であり、ロシアを知ることは当研究会にとっても新たな気付きがあるだろうという期待が、今回のプレゼンター常田氏に講演していただくことにつながった。

 

ARCJ会員の常田氏は、5年に及ぶロシア生活を通して、ロシア社会を肌で知る人物である。

同氏によると、ロシアの暗く寒く長い冬という一般的なイメージは、正しいが一面的なものである。長い冬と対比されるのは、3か月ほどの夏(春や秋は極めて短い)であり、夏には長い冬を耐え抜いたあらゆる生命が、限られた期間に成長と再生産を一気に成し遂げようと、一斉に活動を始める。その明るくエネルギーに満ちた美しい夏もまた、ロシアの自然環境が見せる一面なのである。

 

ロシア人のキャラクター:

常田氏は、こうした明暗がはっきり分かれた自然環境を反映するかのように、ロシア人のキャラクターもまた、明暗が極端に反映される傾向があるという。

「進歩的」な「超専制君主」であったピョートル大帝、過剰なモラリストであったトルストイ、戦略と暴力の天才であったスターリン(正確にはグルジア人)といった日本でも知名度が高いロシア人は、明暗問わず極端な性格で知られているが、性格上の極端性は彼らのような偉人に限らずロシア人一般にもみられる特徴だというのである。

中庸を評価し、あいまいさを残す傾向がある日本人には、極端な性格が常態であるロシア人を理解することが難しいことは、これだけでも容易に想像がつく。

 

ロシア政治の典型パターンは、スラブ主義と西欧主義との間の極端な往復運動にあるという。

スラブ主義とは、ロシアの歴史的発展の独自性や世界史上の役割を主張し、ロシア正教、ロシア固有の価値観・風習・集団主義を擁護する保守的な価値観であり、西欧主義とは、ロシアを西欧と比較して遅れた社会とみなし、個人主義・市民社会を理想化するリベラルな価値観である。

これを「極端な」性格を持つロシア人が政治に反映すると、「進歩的」な専制君主が、西欧へのキャッチアップを目指して沼地に大都市サンクトペテルブルクを建設するために多くの農奴の命を使い捨てたり、事前準備もなしに資本主義を導入して経済が崩壊してしまうといった急進的で多大な犠牲を伴う政策が取られる傾向が強いということだ。

 

正教会(ロシア)文明と周辺地域の関係性:

アメリカの比較政治学者サミュエル・ハンチントンが『文明の衝突』で区分した「ロシア文明」がその周辺諸国に与える影響は大きい。

一方で、ロシアは広大な領土の内外に、異なる文明との断層線を数多く抱え、国を統治するためにはそれらの断層線をめぐって発生する問題を常にマネージし、対処しなければならないという宿命を抱えている。この点も、島国に住む日本人から見て、理解が難しい点の一つである。

キルギス、タジキスタン等の中央アジア諸国は、限られた水資源を河川に依存しているが、スターリンは紛争への介入を通じてこれら諸国への影響力を保持するため、あえて中央アジア諸国が河川の水資源利用をめぐって紛争が起きやすいよう国境を配置したという。

旧ユーゴスラヴィアでは、正教会文明、西欧文明、イスラム文明の三つ巴の紛争が発生し、主な支援国であるロシア、アメリカ、トルコ等が影響力を競い合った結果、泥沼の民族紛争に陥ったが、1999年のNATOのユーゴ空爆、さらにはコソボの独立など、当時弱体化していたロシアは同じ正教会文明に属するセルビアを支援しきれず、一人負けの状況となった。

このことは、1999年当時、同地で安全保障会議書記として露軍とNATO軍の間の調整を担当していたプーチンにとって、ロシアをないがしろにするアメリカや西欧への不信感を強くするきっかけの一つだったとフィオナ・ヒル(後述)は指摘している。

 

カスピ海と黒海に挟まれたカフカス(コーカサス)地方は、ロシア、トルコ、イランという大国に挟まれている。アルメニア、グルジア(ジョージア)、オセチアといった東方正教会文明に属する地域と、アゼルバイジャン、チェチェンなどイスラム文明に属する地域からなり、チェチェン紛争や昨年再発したナゴルノ・カラバフ紛争等に見られるように、古くからの紛争多発地帯であり、ロシア文明の影響が常に大きな変数となっている地域である。

西欧文明との境に目をやると、クリミア半島をめぐる2014年以降の戦争で注目を集めているウクライナは、国土の西側が東方カトリック教会、クリミアを含む東側はロシア語圏、東方正教会を信仰しており、文明の境界に位置している「分裂国家」だ。前述のハンチントンは、『文明の衝突』を著した当時からウクライナの東西分裂を予測するなど、ロシア文明に関しては非常に優れた洞察をしていた。

日本人には理解しがたいロシア/プーチン大統領の様々な行動は、ハンチントンが示した「文明の断層線」というコンセプトを通して見ることで理解しやすくなると言う。

 

ロシアの戦略ツール:

経済力に劣るロシアは限られた国力をもって、上記の文明の断層線をマネージしつつ、ロシアの戦略的ポジションを最大化するという強い意志によって国家を運用している。そのための主要ツールが諜報機関・対外工作機関、軍事力、武器輸出、天然資源であるという。

 

プーチン自身が旧KGB出身であることは広く知られているが、FSB(旧KGB)、SVR、GRUといった諜報機関・工作機関は、情報工作、国内外を問わない暗殺、実力行使によるテロ鎮圧、アメリカや各国への頻繁なサイバー攻撃やハッキング等を活発に実施しており、その実力、実績は折り紙付きである。

 

従来の文脈でいう軍事力は、経済力の差からロシアはアメリカに遠く及ばないが、2010~2020年代にウクライナ、シリア等で豊富な実戦経験を積んでおり、ウクライナ、シリア、リビア等に投入されたPMC(民間軍事会社)を有し、必要に応じて受刑者を釈放と引き換えに前線へ送る(ウクライナ東部占領時)ことまでやるなど、リアル/サイバー・ハイブリッドの「非対称戦争」においては世界最高レベルの実戦能力を持つという。

 

高性能・高価格な米国製兵器に対し、頑丈・低価格なロシア製の兵器は国際的な評価が高く、航空機、対空ミサイルシステム、潜水艦などを中心に広範な国々への輸出に成功しており、武器輸出国としては、米国に次いで世界第2位である。

武器輸出は戦略的な目的でも進められており、中国とは、キューバに置かれている通信傍受施設を共同運用するほど強い戦略的協力関係(「敵の敵は味方」)にありつつも、ベトナムなど東南アジア各国に兵器を輸出し中国からの圧力緩和を図っている(「味方の敵も味方」)とのこと。

 

天然資源の供給を通じた影響力の行使は、アメリカ(トランプ/バイデン政権とも)も強い関心を持つ分野である。ガスプロム社等が進める「ノルド・ストリーム2」パイプラインは、ウクライナ等の隣国を経由せずバルト海を通り、ドイツと直接結ばれるため、ウクライナの立場を更に脆弱にし、ドイツがロシアに対して更に依存性を強める結果となるためである。

 

また、世界最大の国営原子力コングロマリットであるロスアトム社は、電力会社の原子力部門、燃料の転換、濃縮、加工再処理、使用済燃料貯蔵、原子力機器の開発、核兵器開発、核融合を含む原子力研究所をすべて併せ持ち、ロシアの原子力行政・原発輸出を担当、各国との原子力協定の交渉権も有する。原子力砕氷船による北極海航路の単一オペレータ、水素エネルギー開発、量子技術研究も行い、世界での原発輸出市場をほぼ独占しているとのこと。

 

プーチンとは何者?

常田氏は、プーチン政権は、これらの戦略ツールを駆使して戦略的にリアリズムの論理に忠実に国内統治や対外的な影響力拡大を図っているのであり、世界の注目が集まるプーチン大統領個人の性格や本音を分析する意義は限定的であるという。

むしろ、プーチンのパーソナリティに注目を集め、様々な望ましい/危険なプーチン像を想像させ、期待/警戒に基づいた行動を起こさせること自体が、諜報機関出身のプーチンの戦略の一部だというのである。このことは、常田氏が今回の参考書として参加者に紹介した『プーチンの世界』※1に詳しい。本書は米ブルッキングス研究所やホワイトハウス等で長年研究・実務両面でロシアそしてプーチンと関わってきたフィオナ・ヒル氏の著作である。

本書の詳細な調査をもってしても、プーチンがKGB工作員として東独ドレスデンに滞在していた時代の活動や、モスクワ異動後に大統領になるまでの経緯は明らかにならないが、①国家主義者、②歴史家、③サバイバリスト、④アウトサイダー、⑤自由経済学者、⑥ケース・オフィサーの6つのペルソナと、⑦システムがプーチンを形作っているとする。

2000年の大統領就任当初、プーチンは国内復興・経済政策に専念する指導者と見えた。しかし、NATO・EUの拡大が東へと進み、中東やロシア近隣国での政変が頻発するにつれ、プーチンは2007年頃から米国一極支配やNATO拡大への懸念を強く表明するようになり、2012年には西側の「普遍的価値」の否定、民主主義、個人の自由、私有財産といった概念の拒否をより明確に表明するようになったという。このあたりの詳細は『プーチンの世界』を一読されたい。

 

最後に常田氏は、アイン・ランドとロシア・ソ連との類似点、相違点を何点か抽出した。

類似点は、極端、知性主義、宗教否定、唯物論であり、相違点は、個人主義、道徳・倫理・ルールの重視とのことである。そして、アイン・ランドが『セルフィッシュネス』※2で語った「道徳的社会」がロシアで実現される見込みは、プーチン大統領が統治するロシアでは非常に小さく、仮に実現しようとしてもスムーズな移行は不可能との見方を示した。

 

アイン・ランドの「極端」な性格は彼女個人の特性というよりは、ロシア人らしさの現れだったのであろうか。彼女の作品(とオブジェクティビズムの思想)は、アメリカでは聖書に次いで人々に影響力のあった本という評価があるが、その強い個性はロシアの暗く寒く長い冬と、明るくエネルギーに満ちた美しい夏の中で育まれたものだったのかもしれないと思うと感慨深いものがある。

「思想」に思いを巡らせるとき、抽象的な概念をこねくり回すばかりではなく、それが生まれてきた環境をよく観察することは、その理解を深めるためにも欠かせないプロセスといえるだろう。

 

※1 『プーチンの世界 皇帝になった工作員』新潮社 (2016)

※2『SELFISHNESS(セルフィッシュネス) ―自分の価値を実現する』Evolving (2021)