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BLOG

2018.03.19

PLAYBOYインタビュー後日談

Category : 人物
Author : 佐々木一郎

PLAYBOY INTERVIEW: AYN RAND掲載誌面

100 Voices: An Oral History of Ayn Rand表紙

100 Voices: An Oral History of Ayn Rand (Amazonへのリンク)

アイン・ランドと直接関わった人100人へのインタビューを集めた『100 Voices: An Oral History of Ayn Rand』という本が、2010年にアメリカのNew American Libraryから刊行されています。

ランドの元弟子による評伝『The Passion of Ayn Rand』(著者バーバラ・ブランデン、1986年)で世に知れ渡った、ランドの私生活のスキャンダラスな側面を否定する意図が明らかな本で、ランドの人柄や夫フランクとの関係がとことん美化されて描かれています。正直、どこまで信頼してよいのか不安になる部分もあります。

ただ、ランドのほっこりさせられるエピソード、どうでもいいような趣味や癖、感心させられる逸話、感動させられる逸話などがぎっしり詰まっていて、ランドの熱心なファンにとっては非常に楽しい本です。

で、この『100 Voices: An Oral History of Ayn Rand』に、ランドへの「PLAYBOYインタビュー」のとき、同誌のテレビ・ラジオ向け広報担当だった女性へのインタビューが掲載されているのですが、これがなかなかおもしろかったので、以下に抄訳を載せます。

この元広報の女性は、名前をタニア・グロシンガー(Tania Grossinger)といいます。

途中で出てくる「PLAYBOYクラブ」というのは、「PLAYBOY」誌との連動企画として運営されていた高級ナイトクラブです。バニーガールがウェイトレスをしていました。

念のため「バニーガール」というのは、制服としてウサギの耳をかたどったヘアバンド、肩出しボディスーツ、丸い尻尾の飾り、蝶ネクタイ、付け襟、網タイツ、ハイヒールを身につけた女性です。

ヒュー・ヘフナーというのは「PLAYBOY」誌の創刊者で、「PLAYBOYクラブ」の経営者です。

 

————-(抄訳ここから)————-

― あなたとランドの出会いは?

私はニューヨークで、「PLAYBOY」誌の放送宣伝ディレクターをしていました。当時の私の仕事は、「PLAYBOYインタビュー」で取り上げた人物を、ラジオやテレビのトークショーに出演させることでした。

〔中略〕

私はアイン・ランドを、ラジオのトークショーに出演させる手はずを整えました。ニューヨークのWORラジオで、バリー・ファーバーがホストを務める番組でした。

いつもなら私は、放送の当日に車でゲストを迎えに行き、一緒に放送局に行っていました。ランドがファーバーの番組に出る日は、ちょうどセントパトリックス・デーのパレードの日でした。私は仕事の都合でランドを迎えに行けなくなり、電話でそのことを伝えると、彼女は自分でタクシーを拾ってブロードウェイ 41丁目にあるラジオ局まで来ると言いました。

放送の日、私がラジオ局に着くと、彼女はまだ来ていません。放送は夜7時からです。30分前、15分前、10分前、5分前‥‥。ファーバーがイライラしてきます。私もです。アイン・ランドの行方はわかりません。無事なのかどうかもわかりません。

― なぜ彼女は遅刻したのですか?

セントパトリックス・デーのパレードで道が渋滞し、彼女は通り抜けることができなかったのです。

とうとうバリー・ファーバーが私に言いました。「もう他にやりようがない。君が出るんだ。君がアイン・ランドになるんだ」。私は言いました。それは無理だと。私はアイン・ランドではないし、そのうえ私は、彼女の主張のなにもかもに完全に反対なんですから。ファーバーは言いました。「なら、それを放送で言えばいい」。

ファーバーと私はそれから1時間にわたり、私がアイン・ランドについて語るトーク番組をやりました。彼女がどれほど素晴らしい女性で、私が彼女を人としてどれほど尊敬しているか、そしてそれでもなお、私は彼女の哲学には同意できないということを、私は話し続けました。

彼女の哲学をどう思っているかなんて、それまで私は一度も彼女に話したことがなかったんです。それは私たちの関係に何の関係もないことなのですから。

番組が終わり、スタジオの電話が鳴りました。ファーバーが言いました。「タニア、君にだ」。

私は電話を取りました。「もしもし?」。電話の向こうでアイン・ランドが言いました。「全然知らなかったわ。あなたが私の作品についてそんな風に思ってるなんて」。私は言いました。「あれは、あなたの哲学についてなんです。あなたの作品についてじゃないんです。ごめんなさい」。

彼女はとても落ち着いていました。そしてこう言いました。「わかったわ。あなたに一つ貸しができたわね。あなたは一晩アイン・ランドになった。今度はあなたがPLAYBOYクラブでマスコミの取材に対応するときに、私がタニア・グロシンガーになるのよ」。

「わかりました」と私は答えました。とてもノーとは言えませんでした。

番組が終わって、自分が話したことがいかに不適切だったかがわかってきました。番組に出て、彼女の哲学に対する自分の考えを話すのは、私の仕事ではなかったんです。私の仕事は彼女の宣伝であって、彼女の批判ではなかったんです。

彼女は私の発言を、最高のユーモアで受け止めてくれました。彼女は笑っていました。怒って取り乱して当然の状況だったのに。怒って取り乱さなかいどころか、ただ「お返しするわよ」と言ったんです――すごく可愛らしく。あれは素晴らしい体験でした。

〔中略〕

― ランドをPLAYBOYクラブに連れて行ったんですか?

私は当時、スコットランド人の医師の男性と付き合っていました。彼と私と、ランドとフランクの4人で、PLAYBOYクラブのVIPルームでディナーを共にすることになりました。あのVIPルームは素晴らしいんですよ。

私はランドに「これはダブルデートですね」と言いました。彼女は笑っていました。彼女は本当に一緒にいて楽しい人でした。

ディナーの途中で私のポケットベルが鳴りました。ドイツのジャーナリスト数名が取材に来たのです。アイン・ランドは私を見て「いいわ」と言いました。私はランドの後について階段を降りました。

到着したジャーナリストたちは、もちろん私に一度も会ったことがありません。ランドは言いました。「ハーイ! 私がタニア・グロシンガーです。PLAYBOYクラブをご案内しましょう。ヒュー・ヘフナーがバニーちゃんたち全員と寝てることはご存知?」。

もう、いたたまれないったらなかったです。ジャーナリストたち全員彼女を見て、「これが『PLAYBOY』の広報担当なのか!?」という顔をしてるんですから……。

ランドはバニーガールたちについて話し続けました。「みなさん注意してくださいね。バニーちゃんたちにコーヒーをぶっかけられますよ。このクラブは一見とてもきちんとしています。バニーの教育も行き届いていると思われています。でも彼女たち、実はさっき通りで拾って、あの耳を付けさせたばかりなんです」。あれ以上のドタバタ喜劇はなかったです。

彼女は10分くらいこれを続けました。ジャーナリストたちはメモを取り続けました。彼らはテレビカメラも回していました。もう大問題です。

あるところで彼女は大笑いして、こう言いました。「ごめんなさい。私はタニア・グロシンガーではありません。私の後ろで死にそうになってる女性が、タニア・グロシンガーです」。私は自己紹介して言いました。「みなさんをご案内していたこの女性の正体をお教えしましょう!」。「それには及びません」と彼女は言いましたが私は続けました。「お教えしますとも。みなさま、こちらはアイン・ランドです!」。ジャーナリストたちはランドにもインタビューし、そのあと私たちとディナーを共にしました。

あれはとてつもない体験でした。

————-(抄訳ここまで)————-

 

ホントかよ?と思いつつも、私は爆笑しました。