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INTRODUCTION

いまから100年前、ロシアのサンクトペテルブルクで、歴史学者のE.H.カーが20世紀最大のイベ ントと呼んだ共産主義革命が進行し、世界がその新しい思想に支配された。以来半世紀以上にわたり、その思想は世界を二分し、二十世紀を定義したかにおもわれた。 いっぽう、同じ年の同じ街で、その圧倒的な歴史の大波にのまれることなく、たった一人で無謀にも、その革命のモーターを止め、終わらせると宣言した少女がいた。ほかの誰でもなく、彼女自身の自由と命の尊厳のために。50年後、少女はアメリカでベストセラー作家となり、熱烈に愛されるか激しく憎悪される異端児でありつつ、誰もが無視できない自由世界のアイコンとして揺るぎない地位を築いていた。70年後、革命はその命を終えて歴史となった。同じころ、たった一人で戦い続けた孤高の戦士は「死後の世界は信じない。自分が死ぬとき、世界は終わる」と言い残し、その生涯を閉じた。だが100年後、ロシア生まれのその少女 - アイン・ランドが遺した作品は、彼女が生涯を賭して 戦い抜いた自由の意味を読者に問い続け、まさにいまも新しい戦いを仕掛けつつある。

「この分厚いペーパーバックを受け取ったとき、僕がまず感じたのは違和感だった。千ページを越えるペーパーバックの、古びて傷んだ様子が、彼女には似つかわしくないのだった。彼女は一冊の本をこんなふうにしてしまう人ではないように思えた。ということは、彼女以前にすでにこの本は何人もの人たちの手をへているのだ、と僕は推測した。傷んでいるとは言っても、それほどひどくはない。しかし手垢は充分についている。どの人も熱心に読んだのではなかったか」

(片岡義男「アイン・ランドの小説をもらった」より)

MOVIE

  • [講演会]「稼ぐ」美徳とアメリカの起業家精神

  • ヤロン・ブルック博士インタビュー

EVENT

  • 2016.01.20

    立教大学経済研究所主催公開講演会
    @立教大学池袋キャンパス

    「アイン・ランドとアメリカ自由市場資本主義の底流」

    第一部:『肩をすくめるアトラス』の思想と米国政治文化
    第二部:自由市場資本主義の道義的基礎

    詳細はこちら


    イベントレポート

  • 2016.01.19

    ARIヤロン・ブルック博士 来日講演会
    @六本木アカデミーヒルズ

    稼ぐ美徳とアメリカの起業家精神

    第一部:特別講演「シリコンバレーの異端児たちの思想」
    第二部:討論「格差は不公平か? - ピケティへの反論 -」

    詳細はこちら


    告知動画

  • 2016.01.19

    ヤロン・ブルック博士来日講義
    @テンプル大学 麻布キャンパス

    「アイン・ランドの哲学」

    詳細はこちら

WHO IS AynRand

A

R

Ayn Rand

アメリカの「保守の女神」とも呼ばれるアイン・ランドはロシアで生まれた。十代で共産主義革命を目の当たりにし、その哲学の矛盾と限界を見抜いたランドは、のちにアメリカに帰化し、個人主義・合理主義・資本主義を柱とする自身の哲学を小説を通じて世に問い続けた。その思想は先鋭的であるがゆえに異端として扱われてきたが、その作品は自由至上主義の古典としていまも読み継がれている。

1905年サンクトペテルブルク生まれ。比較的裕福なブルジョア家庭で育ち、幼少時は英国人の家庭教師に学び、地元の名門女学校で教育を受けた。1917年の十月革命でサンクトペテルブルクがボルシェビキの支配下におかれると、1918年にはランドの父が経営する薬局も国有化される。家族は戦禍を避けて一時クリミア半島に逃れたが、やがて全土がソビエトの支配下に置かれるとペテルブルクに戻る。

ペトログラード大学に入学したランドは反動的な言動をはばからず、一時大学を追放処分になりかけた。当時のソビエト政府はまだ完全な思想統制をおこなってはおらず、レニングラードを訪れていた外国の科学者が一連の学生追放を非難したため当局がこれに配慮し、ランドは復学が許された。ランドは大学で歴史を専攻し、古代哲学ではプラトンに反発する一方でアリストテレスに心酔した。

9歳の頃から作家を目指し思想を生涯のテーマにすると決意していたランドだが、大学卒業後に得た仕事は市内のツアーガイドだった。1925年、シカゴの親戚から届いた便りを手掛かりに、ランドはアメリカに渡ることを決意する。そしてハリウッドで脚本を書くことを目標に、ペトログラードの映画学校に入学した。やがて映画館を経営するシカゴの親戚から財政的援助の保障を得て米国訪問のビザを手にすると単身アメリカへ渡る。その後、1929年に結婚し、1931年にアメリカに帰化した。渡米後、雑多な仕事をし、脚本を売って当座の資金を得るなどしながらランドは小説を執筆し始める。4年を費やして生まれた処女作が革命後のロシアを舞台にした『われら生きるもの』だ。この小説は売れ行きも芳しくなかったが、これによりロシアと訣別したランドは以降、アメリカを舞台にした小説を書くことになる。

1943年に出版された『水源(原題:The Fountainhead)』はベストセラーとなり、1949年に映画化され、ランドの作家としての地位をゆるぎないものにした。『水源』の映画公開後、ランドはニューディールに代表される社会主義的政策を危惧しはじめ、積極的にアメリカの保守派の思想家や政治家と交流を持ち始める。1957年に発表した『肩をすくめるアトラス』は、資本主義の道徳的正当性を主張して知識人やメディアから酷評されたが、口コミが評判を呼んでベストセラーとなった。1982年、ニューヨークで死去。

ABOUT

日本アイン・ランド協会(Ayn Rand Center Japan)では、日本では無名なこの作家の魅力を、
読書会・講演会・セミナーなどのイベント、著作・発言等の翻訳・公開などさまざまな活動を通じて発信していきます。

一般社団法人日本アイン・ランド協会は、米国の実業家、カール・バーニー氏のObjectivist Venture Fund (OVF) の支援により、
2017年2月に設立されました。

<設立メンバー>

脇坂あゆみ(代表理事)
宮崎哲弥
佐々木一郎

<お問合せ先>

ARCJでは随時サポーターを募集しております。
なお、メディア関係者・研究者のみなさま、当協会の活動にご関心をお持ちのみなさまは、下記メールアドレス宛にお問合せください。

info@aynrandjapan.org