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「われら生きるもの」訳者解説

『われら生きるもの』について

『われら生きるもの』(原題: We the Living)は、一九三六年に出版されたアイン・ランドの処女小説である。ロシア語で育ち、ソビエト連邦で教育を受けた二十代のランドが祖国での記憶をたどりながら、いまだ外国語である英語ではじめて書いた長編だ。
アイン・ランドは血の日曜日事件から間もない一九〇五年二月にサンクトペテルブルクに生まれ、一九二六年に渡米するまで、十月革命を経てソビエト政権が樹立され、スターリン体制が確立するまでの激動のロシアで、世界初の共産主義国家の誕生と「実験」を、間近で眺めて過ごした。本書は彼女がソビエト政権下のペトログラードで過ごした青春の風景を色濃く映し出す自伝的小説であると同時に、序文にあるとおり、共産主義を嫌悪し、あらゆる全体主義・国家主義と戦い続けた著者自身の「思想の軌跡」でもある。
物語はボルシェビキ支配から逃れて南下したキラ・アルグノバの家族が、クリミア陥落後に列車でペトログラードに帰還するシーンから始まる。この道中でのこと、ペトログラードでの生活の状況などは、ランド自身の体験に忠実に描かれているとされる。登場人物の多くには実在のモデルがいたらしい。主人公のキラは、ランド本人の学生時代の姿に違いない。キラの母親のガリーナは自身の母親、ワシリ・イバノビッチ叔父は父親を投影しているといわれている。ランドは少女時代をペトログラードの裕福なブルジョワ家庭で過ごし、英国人の家庭教師に学び、革命前は地元の名門女学校で教育を受けていた。父親のビジネスが国有化された一九一八年には、ランドはまだ多感な十代前半だった。『われら生きるもの』によって読者は、彼女の個人主義思想がどのような環境のなかで形づくられていったかを確認することができるだろう。 共産主義革命を目の当たりにし、マルクス・レーニン主義が初めて実現した国家で暮らしながら、ランドはいち早くその哲学の矛盾と限界を見抜いていた。共産主義は万人の幸福を掲げながら、個々の人間の価値についての理論をもたなかった。人は階級という概念でくくられ、それぞれに異なる価値観があることを認めなかった。手段でも過程でもなく、個人の尊厳を無視した全体主義の理想こそが共産主義の巨悪そのものであることを、ランドは十代で体感し、いまだ共産主義に憧れる風潮すらあったアメリカで、この作品によって訴えたのだった。だが国家主義が世界を席巻し、第二次大戦の火蓋がきられようとしているまさにそのとき、共産主義の理想自体を否定する主張は少なかったであろう。作品中の共産党員アンドレイ・タガノフの葛藤は共産主義に魅せられた多くの理想主義者が実際に通り過ぎた葛藤であったに違いなく、アンドレイを前に声を震わせて反論するキラの慟哭は、ランド自身の慟哭でもあったことだろう。
興味深いことに、後の『水源』や『アトラス』で登場人物をその思想によって生まれつきの善人と悪人にわけ、読者にも二者択一を迫るランドだが、この作品中で共産主義者は必ずしも悪者として位置づいてはいない。権力におもねり、口先で共産主義の理念をとなえながら権力闘争や横領に明け暮れる党員を糾弾する一方、貧困や不正に憤り、命を賭して革命を成し遂げたアンドレイやその父親ら、勇敢で高潔な十月革命以前の共産党員の闘士たちを、ランドは挫折しかしらない自由主義者の若者たちよりも魅力的に描いている。そこに祖国がたどる苦難をみつめるランドの苦い哀しみがにじんでいるかに思えるほどだ。あるいは、圧倒的な歴史の激流にのみこまれ、おぼれてでも新しい潮流を作ろうと戦う共産主義者の個人の姿を描くことで、かれらが信じた無機質な全体主義の理想と、その理想とは相容れない現実の個々の人間とのコントラストを鮮やかに浮かびあがらせたともいえる。『われら生きるもの』はランドが故郷ロシアに捧げた鎮魂歌でもある。
ランド本人は、『われら生きるもの』を、「ソビエトロシアについての本ではない」としているが、振り返ってみれば、彼女がここで提起した共産主義をはじめとするあらゆる全体主義の本質は何かという問題は、ロシア革命というイベントに始まって二十世紀最大のテーマになったのであり、ランドの思想がこの歴史のなかで生まれたことを考えると、ランド自身も時代の申し子であったといえよう。いずれにしても、ランドはこの作品以降ロシアへの郷愁と決別し、二度と戻らない覚悟でアメリカの市民としてアメリカを舞台にした作品を発表していくことになる。
ランドは『われら生けるもの』を、「自分自身からロシアを排除する」ために書いたと語っている。


アメリカの保守の女神

渡米後のアイン・ランドの著作活動とその影響については、二〇〇四年の『肩をすくめるアトラス』邦訳版で紹介したので、以降、最近のアメリカでのアイン・ランドの著作や思想に関連する動きについて少しふれたい。
二〇〇四年当時、ランドはもはや二十世紀の歴史上の人物であり、その思想小説もひとつの古典として参照されることになるだろうと私は考えていた。ランドが戦った冷戦――共産主義と資本主義のイデオロギーの対立はソビエト連邦の崩壊とともに資本主義の勝利によって終焉し、文明の衝突があるにせよ、テロの脅威が高まるにせよ、ランドがイメージした自由経済と資本主義の価値観は基本的にはあらがいようもなく、経済と文化のグローバル化にともなって拡散していくかに思われていた。
だが二〇〇八年秋のアメリカの金融危機において、民間金融機関への多額の公的資金の投入を定める金融安定化法案が可決されると、「小さな政府」を前提とした自由資本主義への信頼は大きく揺らぎ、資本主義そのものが大きな危機を迎えたかにみえた。九十年代から二千年代の初頭にかけて市場のマエストロとして君臨した資本市場の守護神アラン・グリーンスパンの権威が失墜し、市民運動家出身のオバマ政権が誕生した。あの当時、建国から今日にいたるまで大きな政府に懐疑的なアメリカにおいてでさえ、「小さな政府」というお題目を唱えることがはばかられる空気がたしかにあったように思う。
一方、アイン・ランドの思想と作品がアメリカ国内で再び大きな脚光を浴びはじめたのはまさにその二〇〇九年においてであった。同年一月に、ウォール・ストリート・ジャーナル紙の経済コラムニストのスティーブン・ムーアが「ワシントンで救済法案や景気刺激策が打ちだされるたびに、政治家はまさしく『肩をすくめるアトラス』が一九五七年に揶揄していた経済の愚策に手を染めることになる」と現政権を批判すると、グレン・ベックらメディアの人気司会者が同調し、『アトラス』は上半期で三十万部、年間で五十万部という半世紀前に書かれた小説としては驚異的な売上を記録した。
二〇一〇年三月に無保険の市民にも税金を投入して強制的に医療保険に加入させる医療改革法案が成立すると、政府の経済介入の拡大に反対する自由主義者たちが中心になって新しい勢力が拡大し、政治シーンに頻繁に登場するようになった。ティーパーティー――茶会運動の始動である。オバマ政権誕生からわずか二年後に、政府の歳出削減と減税を掲げて勢いを得た茶会勢力が、十一月の中間選挙で緊縮財政を支持する保守系共和党員を大勝させ、議会の勢力地図を塗り替えた。この大きなムーブメントのなかで多くの茶会運動家が思想的よりどころとしたのが、アイン・ランドであった。
ごく最近では、二〇一二年八月に、アメリカ大統領選の共和党ロムニー候補のランニングメイトとして緊縮財政派として知られるポール・ライアン下院議員が任命された。ライアンは二〇〇五年に、アイン・ランドのアドボカシーグループであるアトラス・ソサエティーでの演説のなかで、自分が政治の世界に入る際に大きな影響を受けた思想家を一人あげるとすればランドであり、ランドのように資本主義の道徳的正統性を擁護した思想家はおらず、自分が議会で戦っているのは全体主義と個人主義の戦いだと語っている。(ただし今年の四月に無神論者のランドに心酔していることをカトリック教会に追及され、一転してアイン・ランドの思想を信奉していることを否定した。無神論者には政治的な市民権がないアメリカではやむをえないと思われる) 茶会勢力の台頭によって二十世紀型の自由資本主義思想が再認識され、アメリカ政治の表舞台に登場する一方で、それと真っ向から対立する動きもみられた。若者や低所得者が大きな収入格差に抗議して行った二〇一一年秋の「ウォール街を選挙せよ」運動は、その代表的なものだろう。ここへきて、共産主義国家と資本主義国家の対立として二十世紀の政治を揺さぶった思想の対立は、貧富の「格差」による「階級」間の古くて新しい対立構造に戻ってきた感がある。
思えば二十世紀の冷戦とは国家同士のイデオロギーの対立ではあったが、そのふたつのイデオロギーとは、国家と個人の関係についてのふたつの思想であった。つまり、「個人主義」と「全体主義」の対立だった。国家や社会が人間社会の基盤として存続する限り、その対立に終わりはない。アメリカとソ連を中心として世界を分けた戦いは、ソ連という国家が崩壊したことでなくなったわけではなかったのだ。そしてランドの思想と作品は依然、アメリカ国内で、個人主義陣営の前線で、拡大する福祉という全体主義を相手に火花を散らし続けている。主戦場が対ソ連の代理戦争や超大国間の外交などから、社会保障制度、金融財政政策に変わっただけのことなのである。「個人」か「全体」か、「大きな政府」か「小さな政府」かという神学論争は日本では盛り上がることがほとんどないように思うが、アメリカでは選挙の節目ごとに共和党が「小さな政府」を掲げ、民主党がそれを富裕層への優遇として批判するという構図で繰り返されている。
『われら生きるもの』も本国アメリカではランド思想が注目されるたび地道に売上を伸ばし、今日までの累計販売部数は三百万部に達しているという。なお、邦訳にあたっては『肩をすくめるアトラス』でお世話になったビジネス社の岩谷健一氏にふたたびおつきあいいただいた。日本でまだ無名なアイン・ランドを継続して紹介するといういまのところはさほど報われない事業におつきあいいただいたことに、改めて御礼申し上げたい。
本書が二十世紀の歴史とこれからの世界をみつめる日本の読者にとって、何かのヒントになれば幸いである。


訳者