〔訳者註 『アンセム』が1946年にロサンゼルスの零細出版社Pamphleteers, Inc.から出版されたときの、レナード・リードによる「発行者まえがき」です。レナード・リードは、米国のリバタリアニズム運動を最も古くから主導している組織である「経済教育財団(Foundation for Economic Education)」の創立者の一人として知られています。また、
I, Pencil(私、鉛筆は)という、一本の鉛筆を主人公に自由市場の力を教えるエッセイの作者としても知られています。ネットで複数の方が
I, Pencilの日本語訳を公開されています。
今津英世さん
https://sites.google.com/site/himazu/i_pencil
kurakenyaさん
https://kurakenya.hatenablog.com/entry/20110127〕
アメリカ中を忙しく飛び回るスケジュールを切り詰め、なんとかロサンゼルスで数日の滞在日を確保したときのことだ。ロサンゼルスは、私が1年前まで住んでいた街だった。
訪ねたい友人は数多くいた。空き時間は限られていた。だが、アイン・ランドとの夕食の誘いは歓迎も歓迎、辞退するわけにはいかなかった。
約束の晩、ビル・マレンドアと私は彼女の家へと車を走らせた。彼女の住まいは、いかにも『水源』の作者らしい、ガラスと鋼鉄の家だった。
その晩のわれわれの会話を記録していたら、宝物になっていたことだろう。ランドとマレンドアは、現代の個人主義者として傑出した二人なのだから。
会話は大いに盛り上がった。自由について、われわれの周りで自由が消えつつある理由について、それに対して何ができるかについて、われわれは語り合った。
そのとき、マレンドアがこう言った。自分は、前から本を書きたいと思っている。集団主義が極限まで徹底された社会についての本だ。もし集団主義者たちの教義が現実の人間存在に適用されたら、最終的にどうなるのかを示すのだ。そのような本があれば、集団主義の意味を人々に理解してもらうのに役立つだろう。またその対照として、個人主義の諸原理の意味を理解してもらうのにも役立つだろう、と。
アイン・ランドはこう言った。「そのような本は、私がもう書いています。『アンセム』という小説です」。
「『アンセム』? それはいつお書きになったのです? どこで手に入るのです?」
「書いたのは1937年です。英国で出版されました」
「米国では出版されなかったのですか?」
「ええ。まったく」
「いったいなぜ?」
「原稿を持ち込んだどの出版社からも、出版を拒否されました。理由はご推察いただくしかありません」
彼女が1冊だけ持っていた『アンセム』を私は借り、東に向かうストラトライナー[ボーイング307]の機中で読んだ。
読み終えた『アンセム』を、私は秘書に貸した。彼女は昼休みの間に読み終え、こう言った。「これはすばらしい本です。こんな本を他の人たちが読めないなんて、ひどくないですか?」。私とまったく同じ感想だった。
私はパンフラティア社のことを思い出した。この出版社から小説を出すことは、もともと考えていなかった。だがこの出版ベンチャーの目的は、自由と個人主義の大義を推し進めることだ。われわれは、この小説をみなさんに紹介することに決めた。この小説が、われわれの大義への重要な貢献になると考えたからである。
― レナード・リード
(訳:佐々木 一郎)
今津英世さん
https://sites.google.com/site/himazu/i_pencil
kurakenyaさん
https://kurakenya.hatenablog.com/entry/20110127〕
アメリカ中を忙しく飛び回るスケジュールを切り詰め、なんとかロサンゼルスで数日の滞在日を確保したときのことだ。ロサンゼルスは、私が1年前まで住んでいた街だった。
訪ねたい友人は数多くいた。空き時間は限られていた。だが、アイン・ランドとの夕食の誘いは歓迎も歓迎、辞退するわけにはいかなかった。
約束の晩、ビル・マレンドアと私は彼女の家へと車を走らせた。彼女の住まいは、いかにも『水源』の作者らしい、ガラスと鋼鉄の家だった。
その晩のわれわれの会話を記録していたら、宝物になっていたことだろう。ランドとマレンドアは、現代の個人主義者として傑出した二人なのだから。
会話は大いに盛り上がった。自由について、われわれの周りで自由が消えつつある理由について、それに対して何ができるかについて、われわれは語り合った。
そのとき、マレンドアがこう言った。自分は、前から本を書きたいと思っている。集団主義が極限まで徹底された社会についての本だ。もし集団主義者たちの教義が現実の人間存在に適用されたら、最終的にどうなるのかを示すのだ。そのような本があれば、集団主義の意味を人々に理解してもらうのに役立つだろう。またその対照として、個人主義の諸原理の意味を理解してもらうのにも役立つだろう、と。
アイン・ランドはこう言った。「そのような本は、私がもう書いています。『アンセム』という小説です」。
「『アンセム』? それはいつお書きになったのです? どこで手に入るのです?」
「書いたのは1937年です。英国で出版されました」
「米国では出版されなかったのですか?」
「ええ。まったく」
「いったいなぜ?」
「原稿を持ち込んだどの出版社からも、出版を拒否されました。理由はご推察いただくしかありません」
彼女が1冊だけ持っていた『アンセム』を私は借り、東に向かうストラトライナー[ボーイング307]の機中で読んだ。
読み終えた『アンセム』を、私は秘書に貸した。彼女は昼休みの間に読み終え、こう言った。「これはすばらしい本です。こんな本を他の人たちが読めないなんて、ひどくないですか?」。私とまったく同じ感想だった。
私はパンフラティア社のことを思い出した。この出版社から小説を出すことは、もともと考えていなかった。だがこの出版ベンチャーの目的は、自由と個人主義の大義を推し進めることだ。われわれは、この小説をみなさんに紹介することに決めた。この小説が、われわれの大義への重要な貢献になると考えたからである。
― レナード・リード
(訳:佐々木 一郎)