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「映画的作家」アイン・ランド

文・宮崎哲弥/佐々木一郎



 資本主義の断固たる擁護者として、また社会主義の痛烈な批判者として、アイン・ランドは、その思想的立場に着目して攻撃されることの多い作家である。福祉も宗教も否定して憚らぬその旗幟鮮明ぶりに目を奪われ、ランド思想の反対者も支持者も、作家としての彼女が持つ重要なある側面、つまり「映画的」作家としての側面を見落としがちである。

 映画的──それはすなわちアクションとエモーションの融合と言い換えてもよいだろう。
 たとえば、ランドの代表的長編小説『肩をすくめるアトラス』のなかの、破裂した高炉にハンク・リアーデンとフランシスコ・ダンコニアが駆けつけ、溶銑の流出を阻止する一連の場面。その山場自体が映画的であるだけではない。製鉄所の階段を駆け下りる二人の脚、プレイボーイの仮面の下に隠したダンコニアの思わぬ力や技に驚くリアーデン、ニヤリと笑うダンコニアなど、それらの描写を読んでいるだけで、映画になった時のカット割りまで目に浮かびはしないだろうか。短い台詞のひとつひとつにも映画のようなキレがある。
 さらにもう一つの長編『水源』を読んだ者なら、ストッダード殿堂の深夜の建設現場で、ロークと仲間たちがくつろぐシーンを覚えているかもしれない。思想小説らしからぬこの幸福感に満ちたシーンは、任務遂行に賭けるプロフェッショナルの世界を描く監督ハワード・ホークスの映画『コンドル』(‘39)や『リオ・ブラボー』(‘59)、『ハタリ』(‘61)等に繰り返し描かれる宴の一場面のようではないか。
例を挙げればきりがないが、ランド小説の設定や場面には、黄金時代のハリウッド映画にみられるような多くの映画的要素が息づいている。『肩をすくめるアトラス』に登場するコロラド山中の秘境は、フランク・キャプラの『失なはれた地平線』(’39)に登場するチベットの山奥にある優れた人びとだけが住むシャングリラがヒントになってはいまいか? 同じく、傍役ではあるが『アトラス』に出てくるケイ・ラダロウという女優は、突然の引退で世間から姿を消した大女優グレタ・ガルボをモデルとしているのではないか? 『水源』に登場する新聞王ゲイル・ワイナンドのキャラクターは、ヨットが趣味だった新聞王J・ピューリッツァーをベースとしながらも、『力と栄光』(’34)のスペンサー・トレイシーや、『市民ケーン』(’41)のオーソン・ウェルズ、あるいは当時、映画プロデューサーとしても有名だった飛行機マニア大富豪ハワード・ヒューズを意識しているのではないか?という具合に、アイン・ランドは映画ファンの妄想を刺激してやまない作家でもある。

 そもそもランドは、小説家としてよりも先にハリウッドの脚本家としてデビューした作家だった。1925年に20歳で渡米すると、シカゴで映画館を営む親戚のもとに6ヶ月滞在した後(その間138本のサイレント映画を見たという)、彼らの紹介状を携えて尊敬する大物監督セシル・B・デミルがいるスタジオを訪問。いったんは追い返されるものの、たまたまスタジオに入ってくるデミル本人を見かけ驚いて凝視していたところ、不思議に思ったデミルに声をかけられ、『キング・オブ・キングス』(’27)のエキストラ、やがて下級シナリオライターの仕事を手にする。デミルは、スケールの大きな娯楽性の高い作品で知られると同時に、ハリウッドの保守派を代表する人物だった。ランドの作品や政治思想との近似性を考えると、この邂逅はきわめて興味深いエピソードといえるだろう。作品中に必ず大衆受けするカタストロフィックな見せ場(列車転覆の大事故や、大建造物の崩壊等)を用意するのは、デミル映画の常套手段でもあり、そこにも映画的な影響が感じられる。

 その後、業界紙「ハリウッド・リポーター」の勧誘員やウェイトレスを経て、RKOの衣装部門で書類整理係の仕事を得たランドは、小説『われら生きるもの』の構想・執筆を開始しその間に一本の脚本を書く。ロシアを舞台にしたスパイスリラー『赤い駒(Red Pawn)』をユニバーサルに売却し、大金を手にしたランドはようやく『われら生きるもの』の執筆に専念できるようになり、1936年にこの小説の出版にこぎつけた。
 『赤い駒』が製作されることはなかったが、ランドは初のベストセラー『水源』の映画化でふたたび脚本を書くことになる。また、ハリウッドの大物プロデューサー、ハル・B・ウォリスのスタジオで1944年から1947年まで脚本家として勤務しており、この間、『ラブ・レター』('45)、『大空に駆ける恋』('45)の2本にクレジットされている。
他にランドが手がけた脚本としては第二次大戦が終わった1946年に執筆された原爆に関する『最高機密(Top Secret)』がある。こちらも製作にはいたらなかったものの、この脚本のためにランドは原爆開発を主導したロバート・オッペンハイマー博士に取材している。『肩をすくめるアトラス』に登場するロバート・スタッドラー博士や「プロジェクトX」の挿話は、この時の取材を元に着想したと考えられている。

 1930年代~40年代のハリウッドでは、フォークナーをはじめ、フィッツジェラルド、ナサニエル・ウェスト、オルダス・ハックスリー、レイモンド・チャンドラー等の大作家が、映画の脚本を書いていた時代があったが、その脚本はほとんど使いものにならなかったといわれる。台詞の呼吸、ストーリー展開、場面転換等が映画と小説ではまったく異なることは言うまでもない。ランド作品における映画的な山場の作り方、視覚に訴えかける描写、効果的な台詞等は、彼女がハリウッドで脚本家として積んだ経験が活かされているといえるだろう。

 1925年に、当時一連のエルンスト・ルビッチ監督作品で、妖艶なヴァンプ(悪女)を演じ人気を博していたポーラ・ネグリに関する論文を書いているほど、若いころから映画ファンだったランドは、長期間にわたり詳細な映画の鑑賞記録、好きな俳優のランキングなどを書き続けていた。アレック・ギネス、チャールズ・ロートン、フレッド・アステア、ヴィンセント・プライス等、個性的な名優を高く評価しているいっぽう、もっともお気に入りの俳優はグレタ・ガルボとゲイリー・クーパーだったというランド。特に気に入っていた映画は、ガルボがソ連から花の都パリに派遣された特使を演じるエルンスト・ルビッチ監督の傑作コメディ『ニノチカ』(’39)だったとのこと。監督では、フリッツ・ラングをことのほか敬愛しており、サイレント期の超大作『ニーベルンゲン/ジーグフリード二部作』(‘22)を、映画におけるロマン主義の最高の達成として賞賛している。

 舌鋒冴えわたる思想小説家としての側面と表裏一体となって、サイレント時代からの豊富な映画体験をその作品に昇華させ、視覚的に訴えかける場面を巧みな筆致で描くことができたからこそ、彼女の小説はあれほど多くの読者を惹きつけたのではないだろうか。
 どんな作家にもまして、アイン・ランドこそ、まさしく「映画的作家」と呼ぶにふさわしい。