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「われら生きるもの」見どころ

文・宮崎哲弥 / 脇坂あゆみ
(日本語版DVD特典付録より転載)



“ネオレアリズモ”前夜のイタリア映画

イタリア人の映画監督と言えば、ロッセリーニ、デ・シーカ、ヴィスコンティ、フェリーニ、アントニオーニ、パゾリーニ、ベルトルッチ、レオーネなどの名前が日本の映画ファンにも次々に思い浮かぶだろう。こうした監督たちは全員が戦後の作家である。トーキー以降、戦前・戦中に活躍したイタリアの名匠たち──A(アレッサンドロ)・ブラゼッティ、M(マリオ)・カメリーニ、G(ジェンナーロ)・リゲッリ、A(アウグスト)・ジェニーナ、M(マリオ)・ソルダーティといった名前は、日本ではほとんど知られていない。本作の監督ゴッフレード・アレッサンドリーニも、そうした知られざる名匠の一人である。
アレッサンドリーニは、ファシスト政権がプロパガンダの一環としての映画製作を奨励していた時期に成功したために、国策映画の監督としてみられることが多い。だがそれは表向きの顔であり、映画『われら生きるもの』の制作に際しては、国家に自由を奪われながらも自らの人生を生きようともがく若い主人公の姿に、聴衆は自身の姿を重ね合せるにちがいないと踏んだのである。もちろん、独裁政権の下で政権批判を意図する映画の製作が許されるはずはない。アレッサンドリーニらは撮影中、当局からこれまで撮影した全シーンを見せるよう要求された時は、「反ファシスト的」と見なされうるシーンをカットしてしのいだ。果たして公開されたこの映画に込められたメッセージは観客に正しく理解され、興行は大成功をおさめた。だが暗示された体制批判はまもなく問題視されるようになり、上映禁止・ネガフィルム廃棄処分が下るに至った。
こうしたエピソードを知って、ヴィシー政権下のフランスで製作された『天井桟敷の人々』(‘45)との類似性を感じる映画ファンも少なくないだろう。映画『われら生きるもの』もまた、独裁政権の検閲と統制を巧みにすりぬけながら、自由と抵抗の精神を示した作品なのである。またプロパガンダ映画政策を逆手にとったアレッサンドリーニらこの時期のイタリア映画人たちの巧妙な抵抗(レジスタンス)は、戦後、一躍脚光を浴びたネオレアリズモ運動を育んだ土壌として再評価すべきといえよう。


原作に忠実に再現されたシーンの数々

この映画を製作したスカレラ・フィルムは、当時イタリア最大の映画会社だった。ペトログラードの町並みは、すべて屋内セットに作られた。なおエキストラには、当時ローマに住んでいた亡命ロシア人が多く起用されたという。
最初に提出された脚本を見て、アレッサンドリーニ監督らは頭をかかえた。キラの夢が技術士からバレリーナになる等、原作のストーリーが大幅に変更されていたのだ。撮影開始日は迫っていた。窮地に陥った彼らは、この映画を「原作どおり」に撮ることに決めた。台本はアレッサンドリーニと助監督のA(アントン)・マジャーノが、前日に原作を読みながら翌日分を書くという異例の方式で撮影が進められた。このため本作は、これまで映画化されたランドによる3作品の中で、原作の再現度がずば抜けて高い。
なお、「小説をそのまま脚本として使用する」という異例の手法が可能だったのも、ランドが小説を映画的に書ける作家だったからだろう。キラがレオと初めて出会い、娼婦に間違えられながらそのままついていく印象的なシーンも、会話を含めて原作の流れを見事に映像化している。小説ではやや突飛に感じられるシーンだが、アリダ・ヴァリとロッサノ・ブラッツィが演じると不思議と絵になる。また、アンドレイ役のフォスコ・ジャケッティ含め、当時のイタリアの俳優陣の質の高さも、原作どおりのイメージの再現に大きく寄与していることはいうまでもない。


日本で初めて紹介されるアリダ・ヴァリ初期イタリア時代の出演作

キラを演じるのは、ヒッチコック映画の罪深いヒロインやオーソン・ウェルズの相手役、あるいはヴィスコンティのコスチューム劇のヒロインとして日本でも人気の高い名女優、アリダ・ヴァリである。15歳でデビューして以来、戦時中に本作を含め20本以上のイタリア映画に出演したヴァリだが、この時代の出演作はこれまで日本でまったく公開されてこなかった。このため多くの日本の映画ファンにとって、ヴァリは老年期のイメージが強い女優だった。ヴァリの若き日の出演作が日本で紹介されるのは初めてといえる。
つねに何かを強く訴えかけるような瞳を持ち、多くの映画で美しくも気高い女性像を演じてきたヴァリだが、本作でも、革命の動乱の渦中にあるロシアで技術士を目指す女子学生キラ役で、その魅力を存分に発揮している。
伝説的大女優グレタ・ガルボの再来と言われたヴァリだが、本作の原作者であり映画マニアでもあったアイン・ランドがもっともお気に入りの女優こそ、グレタ・ガルボだった。原作者が与り知らぬまま製作されたこの映画のヒロイン役に、そのガルボの再来と言われた女優がキャスティングされたことは幸運と言えるだろう。


「白」と「黒」

本作はモノクロ映画ならではの光と影の美しいイメージが印象的だが、とりわけ「白」という色が特別な役割を担っている。レオがキラと二人でいるところを警察に見つかり、霧の中を逃げ去るシーンでは、たちこめた霧の白さがレオを守る。二人が密航船に乗るシーンでは、窓から射す光の白さが恋人たちの顔をやさしく照らし出す。雪の国境越えにキラが着て行くと言うのは、白いウェディングドレスだ。共産主義を象徴する赤を影(=黒さ)で表現し、光(=白さ)で個人としての尊厳や自由を表現しているかのようだ。
なお、惜しくも日本語字幕版には収録されていないが、映画のオリジナルのラストシーンでは原作通り、キラが母親のウェディングドレスを着て国境を越えていく。光あふれる真っ白の雪原のこのシーンは「白」が最も効果的に表現された情景でもある。この場面はアイン・ランドにより削除された他のシーンとともに英語版のDVDで紹介されている。